2006年 6月26日 (月) 

       

■  〈盛岡百景〉70 明治橋からの北上川夕照

 国道4号盛岡バイパスが開通して交通が分散されたとはいえ、明治橋を渡る交通は今も多く橋の前後では朝夕を中心に交通渋滞が発生する。なかなか橋の上に立ち止まり景色を眺める状況にはない。盛岡の風景を象徴する川の流れと岩手山を眺める絶好のスポットにしてはもったいない気がする。

  夕暮れ時、橋の上から北上川の上流を眺める。時期は、奥羽山脈への落陽が岩手山に最も接近する夏至の前後が一番いいだろう。西日の当たる市街地の建物はオレンジ色に染まり、炎を落としたように揺らめく川面は、ここで行われる送り盆の伝統行事舟っこ流しを想起させる。

  車道に背を向けて眺めている間に車のエンジン音が消えたような錯覚にも陥る。川の水かさが少ない日は、流れる水の川底の石などを洗う音が次第に大きくなって、ほかの音を消し去ってしまうかのようだ。

  障害物の少ない橋の上は、どうしても町並みの中よりも風を感じる。建物の間ではほとんど体感しない日でも橋の上では存在に気が付かされる。川流れの音が大きくなり、エンジン音が消え入るのは風のいたずらなのかもしれない。170メートルの橋を家路を急いで通過するだけでは夕暮れ時に風の奏でる音は聞こえてこないだろう。

  明治橋はその名の通り明治時代に架けられた。現橋は1932年に永久橋として架けられた3代目。初代は1873(明治6)年、明治天皇の東北巡幸に備えて架けられた木橋で、今よりも100メートルほど下流、御蔵(おくら)の前にあった。同じ場所へ1898年に架橋された2代目も木橋だった。

  明治橋の以前、旧川原町と仙北町の連絡手段として新山舟橋があった。新山は北上川舟運の起点だった場所。当初は舟渡しだったが1663(寛文3)年に橋が設けられたという説がある。何度も流され、土橋と舟をつないだ舟橋の架橋が繰り返されたという。

  新山舟橋は藩政時代から時代時代によって何度か言い表された盛岡八景にも登場し、古くから景勝の地として認められていた。第10代盛岡藩主の南部利敬(1782〜1820)は侍臣に舟橋八景を詠進させている。

  「旅人は、急ぎ渡れど舟橋に暫(しば)しはよどむ 夕日影かな」。現代もまた人々は急いで渡り、人々とは違う時間の流れで夕日が落ちていく。(井上忠晴記者)


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