2006年 7月1日 (土) 

       

■  〈たきびの詩人巽聖歌〉245 小川達雄 「新樹」の頃12    

 巽先生ご夫婦の間にあった微妙な食い違い。わたしはそれを、昭和二十三年八月三日、『新樹』全国大会第三日めの会場で目にした。

  それはちょうど閉会の時になって、巽先生がお隣の夫人を、わたしの家内です、と紹介された時のことである。なにかひと言、といわれたようすであったが、それとはいっこうに関わりのないようすで、洋画家の夫人は、スッと正面を向いたまま、黙っておいでであった。

  しばらくして先生は、
  「挨拶のしかたも知りませんで」
  と笑っておられたが、あれはやはり、少し風変わりなシーンであったと思う。
  ほんとうは、その全国大会の記憶の上に、その秋には千田忠兵さんから耳にした、汽車の中でのいさかいのことが重なったわけであるが、しかしなかなか、ケンカなどというようなできごとは、その後思い浮かべることはなかった。

  ところがこんど、さまざまな資料に当たっているうちに、また、そうしたご夫妻の一件を記した、与田準一氏のめずらしい文章を目にしたのである。それには、

  燃えたきち 火をふく山と かたはらの
   煙はきをさめ 静もりし山
  と書かれた色紙の写真があり、それには巽先生の署名もあった。与田氏によれば、これはその、二人のあいだのいさかいを詠んだものであるという。そして、「火をふく山」と「静もりし山」とは、いったいどちらが巽さんでどちらが奥さんであるか、わからない、と記していた。

  その後、日野市郷土資料館での巽先生の生誕百年記念展(去年九〜十一月開催)では、この色紙の現物を見ることがあった。思わず、展示責任者の北村さんに、
  「これはケンカの歌ですね」
  と言って、先生のお嬢様・やよひさんに、
  「先生はどちらの山ですか」
  とおたずねしたら、やよひさんは笑って、
  「『静もりし山』のほうです。父は負け
  るほうなので」
  と、すぐに答えて下さった。
  −南吉のことばかり一所懸命にならない
  で、自分の仕事をもっとやって下さい−−

  そんなことも火種になった由。色紙にされるくらい、客観視されているなら、と考えて、今回このように書いたのであるが、もともと毎日飲んで、夜中に帰ってくる先生であってみれば、やはり非難されることも致し方なかったのであろうと思う。


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