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後藤愛用のフロックコートや自筆書なども展示されている「原敬と後藤新平」展 |
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盛岡市本宮の原敬記念館(遠藤健悦館長)は、第36回企画展「原敬と後藤新平−確執と協調、その歩み」を9月29日まで開いている。本県が生んだ2人の偉人、原敬(1856〜1921年)と後藤新平(1857〜1929年)。一緒に入閣することはなかったが、ともに認め合っていた2人の足跡を新資料約20点を交えて紹介している。
原は盛岡藩、後藤は伊達家支藩の水沢の東北諸藩出身で、それぞれ官僚から政界へと転じた。鉄道政策や政党についての考え方など違いはあったものの、後藤の南満州鉄道(満鉄)初代総裁就任や東京市長就任に原は深くかかわった。
「原敬日記」に後藤の名が多く登場することからも、同世代の2人が互いに重要な人物として認めていたことが分かる。
本展では、奥州市立後藤新平記念館の協力を得て、後藤愛用のフロックコートや自筆の書掛け軸、辞令書など遺品も公開。原の自筆書などと隣り合わせて展示したコーナーでは、原、後藤それぞれの座右の銘ともいえる言葉(揮毫=きごう)を紹介している。
原の言葉「宝積(ほうじゃく)」は「人を守って己を守らず」の意義があり、原はこの意義を体得し、実行した政治家だった。
後藤の言葉「自治三訣(じちさんけつ)」は、初代総長を務めた少年団(ボーイスカウト)の少年たちに呼び掛けていた言葉でもある。
「人のお世話にならぬよう 人のお世話をするよう そしてむくいをもとめぬよう」の意味が込められているという。
遠藤館長は「2人は相いれない部分はあったが、見返りを求めずに人のために尽くすという信念は共通しているように感じる。同世代(1歳違い)の2人の偉人が、この岩手から出ていることを誇りに思う」と話す。
原、後藤の歩みを紹介するパネルでは、「狭軌」か「広軌」かで構想が異なった原と後藤の鉄道政策、政党政治を進めた原とその入党勧誘を固辞して「政治の倫理化運動」を展開した後藤のそれぞれの政治姿勢も紹介している。
大正15(1926)年ごろに製作されたレコード「政治の倫理化」復刻版のテープでは、後藤の演説(肉声)を聴くこともできる。
展示資料では、後藤が東京市長時代、急激な人口増などで東京市民の生活を憂慮して立案した「東京市政要綱(8億円計画)」の「東京都市計画地図」(1921年11月13日発行、個人所蔵)も興味深い。
この計画は、協力を申し出ていた安田善次郎と原総理大臣の暗殺により実現しなかったが、被害規模が大きかった関東大震災後に再び注目されたことでも知られる。
会場では、原、後藤の写真や歩みのカードを年代順に並べるクイズコーナーもあり、遠藤館長は「親子で楽しみながら岩手の偉人について知ってもらえればうれしい」と話していた。
原敬記念館(電話636−1192)は、毎週月曜日休館。(祝日の場合はその翌日)入館料は一般200円、小中学生50円。
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