2006年 7月4日 (火) 

       

■  「原敬が見た20世紀初頭の世界」 作家の松田十刻氏が講演 

     
  原敬を想う会で講演する松田十刻氏  
 
原敬を想う会で講演する松田十刻氏
 

 原敬を想(おも)う会(会長・谷藤裕明盛岡市長)主催の講演会は1日、盛岡市志家町のサンセール盛岡で開かれた。作家の松田十刻(本名・高橋文彦)氏が「原敬が見た20世紀初頭の世界」と題して登壇。首相就任後の執政に影響を与え、暗殺の遠因とも指摘する180日間の諸外国歴訪を取り上げ、原の生きた時代にアプローチした。

  松田氏は、原が1908(明治41)年8月24日に横浜港を出発し、アメリカを皮切りに欧州、旧満州まで18カ国を漫遊した180日間を紹介した。

  諸国漫遊から9年後の1918(大正7)年、原内閣が成立。「政治経済、文化において見聞したことを参考にしている。後の原にいかに影響を与えたか」。

  外国歴訪が暗殺の遠因とする根拠として、21(大正10)年、後に昭和天皇になった皇太子の欧州外遊を勧めた点を挙げた。これが右翼の反発を受け、原自身も遺書をしたためたほどだという。

  「原は自分自身が見てきたように、第1次世界大戦後の荒廃を見て戦争の悲惨さを見てほしいと思ったのでは」と推論した。暗殺の同年、ナチスが誕生。ファシズムが台頭し始めた。世界が第2次世界大戦に向けて歩き出すことになった。

  松田氏は「原は、第1次大戦、ロシア革命、米騒動など国内外の情勢下、なり手がいない中で満を持して首相に就任した。第1次大戦が原内閣を生んだ。そして原は漫遊で19世紀の終わりと、科学文明の発達で不穏な世界へと進み、悲惨な戦争を引き起こしてきたものを見た」と語った。

  また「原は物見遊山をしていたわけではない」と主張。モータリゼーションの急速な発達が見られる米英では、自動車工場を見学し、英国では探偵を従えて貧民窟(くつ)を散策するなど危険も冒した。

  一方、一関出身の高平小五郎大使の要請によるセオドア・ルーズベルト米大統領との会見を相当しぶったという。原が着替えの荷物を送って正装がないと断る一幕もあったとか。公私の区別を自ら明確にしていた。

  歴訪した中には、当時売れない画家だったナチスのヒトラーがいたウィーン、喜劇役者として活躍していたチャップリンがいた英国があった。英国では原の歴訪した4年後、1912年に沈没したタイタニック号がベルファストで製造中だった。

  原の養子・圭一郎(本名・貢)の回想録「ふだん着の原敬」によると、原は帰国後、スペインで見た闘牛の演技をして貢を笑わせたというが、市指定有形文化財「原敬日記」には闘牛は休みと記載されている。「子ぼん悩ぶりがうかがえる」と松田氏は話していた。


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