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この昭和二十三年八月の『新樹』全国大会では、ほかにも注目すべきことがあった。それは、巽先生の特色が大いに見られる、新人賞受賞者四名の発表である。
その一人は阿部文弥さんで、すでに昭和二十二年の十月号には、こんな作品が、大きな活字で掲載されていた。
魅さるる如く女優恋ひつつ見てをりぬ喜
劇といはるる映畫なりしが
映畫館出でて来しかば街上の往き来はげ
しき女らに恋ふ
一つ一つを見れば、これは丸太ん棒のように、ずい、と鼻先に出されたようなものであろうが、この、おそろしく直情的な表現が印象的であった。なにしろ、この題は「女恋ひ」といったから、いよいよ以て、そのものズバリで自分の思いを言った、としかいいようがなかった。
−こんなに女、女とだけ言ってよいので
あろうか−−
若い女性とは、まだ話したこともないわたしは、はっきりと言うことにうらやましさを感じつつ、一方では恐れの気持ちを抱いていた。そんな二十首の中で、わりあい上品なのは
春されば乙女らが堤の草の上に脛をなら
べて辨當を開く
これと思われたが、それでも「脛をならべて」などには、あからさまな作者の視線が感じさせられた。しかし、巽先生は新人賞選衡経過を言う中で、こう話した。
「〜阿部君に望みたいことはたゞ、嘘を
つくなといふことである。感覚官能の世
界を追求していくにしても、知的なもの
を理念していくにしても、世間の評判な
どを気にせず、まっしぐらに自分に忠実
であれといふことであります。
〜わたくしは若い人達に対して、先づ人
間として解放されなければならないと思
ふ。まだまだ解放のされ方が足りない。
もっと人間的に自由になれと言ひたい。
そこにこそ新しい文学が生まれてくるの
ではあるまいか」
先生は、これから生きる、人間としての根本的なことを、とつとつとして語っていた。詩や短歌などということばかりではない、もっと大きな、人間のありかた。
ほんとうに、歌のつくりはじめから、一句がどうの、三句の句切れがどうの、とこまごまいう向きもあるけれども、そんなことは一切いわず、先生は気持ちのありようを言ってくださるのがありがたかった。
阿部文弥さんはたいてい盛岡にいて、わたしはしょっちゅう行き来していたが、その時阿部さんは東大(旧制)の学生である。作品とはちがい、しごくゆっくりしておいでで、そのまわりは若い女性でいつも華やかなようすであった。
その後は同じ『新樹』の、詩人の方と恋愛結婚をして、やがて捲土重来、盛岡から小説家を目指して上京。岩波書店、東洋経済社を経て、現在は八王子で悠々自適の生活である。折々、盛岡一高の東京同窓会などでお話するが、お互い、年をとった。
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