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■1973年
「昔の楽隊(バンド)はよかった」。いつものオハコが始まった。キャバレー「グランド」の3階にある「ロマン」の原田のオヤジさん(バンマス)だ。「ステージが終わると、札束をカバンに詰めたもんだ」。オイオイ、ホンマかいな。背が小さくて太っていて樽(たる)のような体型に、愛嬌(あいきょう)のある丸顔がついている。進駐軍のキャンプまわりの話だ。
原田のオヤジさんは、医学生だった(と本人が言っている)。キャンプまわりをしているうちにこの世界に入ってしまった。札束云々(うんぬん)は、大げさにしても「学士か、楽隊か」というくらい社会的地位も待遇も良かったらしい。
僕がバンドマンになったころ、すでにその黄金時代は終わっていた。楽器ができることが希少価値でそのニーズに供給が追いつかなかったころ、そして日本が奇跡の復興を遂げた象徴の東京オリンピック(1964年)あたりまでがピークだったのかもしれない。
社会的地位も待遇も下がったけれど、まだまだ仕事はあった。前年、首相になった田中角栄が「日本列島改造論」をぶちあげ、未来永久の繁栄をみんなが信じていたころだった。
一口にバンドマンといっても、そのかかわり方、スタンスが違う。原田さんやうちのバンマスのように完全にメシのタネとしてやっている人、僕のように一時的にこの世界に属している人間、そして自分の音楽性を追求してゆこうとする連中だ。
「ロマン」のベース弾き、ムクムクは近畿大の学生だった。背が高く、体が文字通りムクムクしていたが、ロングヘアがなかなか様になっていた。歳(とし)は僕の方が上だったがバンド歴は彼の方がはるかに長かった。ドラムのアフロと気が合って、僕を含めてつれあうことが多かった。ネーカー日(給料日)には、決まって居酒屋に向かった。
ムクムクとアフロは、ダクション(プロダクション)が搾取しすぎるといって怒り、今やっているバンドがいかにしょうもないかを嘆き、最後は自分たちのやりたい音楽の話をした。その時の二人の表情は、生き生きとして熱を帯びる。口角泡を飛ばして語り合う二人に僕は置いてきぼりを食う。そこに引かれた超えられない領域があった。
「グランド」のチェンジバンドのギターに空きが出た。僕は、マー坊に声をかけた。マー坊は躊躇(ちゅうちょ)なく、仕事にやってきた。そして、すんなりとバンドの世界に溶けこんだ。
K大でのバンドは続いていたが、さほどの進化もなく以前ほどの熱もなくなっていた。
マー坊が仕事になれたころ、練習バンドをロックをやめてジャズにしないかと提案した。マー坊は同意したが、ハルはきっとやめるだろうと僕は思った。僕を音楽の世界に導いたハルを裏切るような後ろめたさがあったが、これ以上続ける意味がなかった。
「そんなら抜けるわ」。案の定、ハルはそう言ってやめていった。僕とマー坊は新たにフルートを加えて練習を始めた。
12月になった。大阪には季節感がない。グランドのステージでは、クリスマスソングの演奏が始まった。僕は、それによって冬が来たことを感じた。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス代表)
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