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その朝、わたしたちは盛岡で、車を1台に絞った。国道46号をひたすら西へ。修治さんは、確信に満ちた表情でハンドルをにぎっている。
(あらっ、ず〜っと直進で?)わたしは内心あわてた。このままでは岩手を通過し、やがて田沢湖に行ってしまう。雫石では右折し、葛根田川沿いに滝ノ上温泉へ向かわなくちゃ…。が、仙岩トンネルにさしかかったそのとき、わたしは二つの名前のトリックに合点した。
烏帽子(えぼし)岳、それはイコール乳頭山のことだ。岩手側からの呼び名が烏帽子岳。ツンととがる烏帽子そっくりな山頂部で、どこから見てもそれと分かりやすい。
ところが秋田側からは、ふっくら膨らむおっぱい型だから、優しく「乳頭」と称されている。どちらも見た目の印象を、そのまま言い当てているため、「さて、どっち側をどう呼ぶの?」と、戸惑う。共通認識がなければ危うい集合だ。
その日、わたしは岩手側の葛根田登山口から登ろうと考えていた。にもかかわらず「乳頭山に行こう」と、メールで呼びかけていたのだし、修治さんが、秘湯で有名な乳頭温泉郷へ向かってしまうのは無理からぬことだった。
十和田・八幡平国立公園のスクランブル交差点の中央に位置する烏帽子岳。崖(がけ)にせりだすスレート状の石の頂上は、何ものにも眺望を邪魔されない。神と対話したという古代の丘上祭壇に似て、オレンジ色の残照を浴びる夕刻、みどりの大海原を制した烏帽子岳は、きっと神々しい光を放つのだろう。
まず南西、残雪の秋田駒ケ岳が近くに迫る。時計回りにテーブル状の大白森、ついで曲崎山、八瀬森、関東森…。ぐっと奥に、ピラミダルな森吉山。
北に、八幡平のシルエットが緩やかな弧を描き、茶臼岳がびしっとピリオドを打っている。裏岩手の縦走路をモッコ岳、諸桧岳……源太ケ岳、三ツ石の稜(りょう)線へたどると、雲の中の岩手山を暗示しているかのように伸びやかだった。
ほどよく点在する避難小屋。縦走でも、日帰りでも、豊富なバリエーションを組む夏の登山にはもってこいだ。それに帰りしな、質のいい温泉につかってサッパリだなんて、どこへ下っても申し分ない。
岩手側、葛根田温泉コースは、モリアオガエル生息地の白沼からマムシ坂をへて3時間。また、平ケ倉沼から千沼ケ原を経由すると、頂上までたっぷり4時間かかり、長丁場になる。
山域は地熱で暖かい。それだけに、虫、カエル、蛇、鳥…生き物たちの食物連鎖が守られている。先頭が「きゃー」と悲鳴をあげた。問うまでもない、ヘビだ。
(盛岡市、版画家)
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