|
昭和二十三年の新人賞のことでは、前回の阿部さんのほかにもう一人、一関出身の門脇珠恵さんについて記しておきたい。
門脇さんは画家志望でもあったが、『新樹』の申し子といったらよいのか、『新樹』の特徴を最もよく現した、いわば巽先生推薦の愛弟子であったように思う。
いまでも覚えているのは、
男湯から「いま出るぞ」といふ声す「は
あい」と聞こゆ女湯の中
こんな型破りの作品であるが、そこにはいきいきとした生活の息吹があった。なんでもない日常の断面というのか、庶民の生きている呼吸が、くっきりと描かれていた。
昭和二十三年の三・四月号には、門脇さんの作品「異性の友」二十首が特選になって、巻頭を飾っていた。
彼が恋ふ程に価値ある娘とは思へぬを安
堵しそしてわびしき
十日目に探しだされし駈落者顔をだれも
が見ぬふりをする
この「彼」というのは、作者が好意を寄せている人であったか。それで、その娘を見て一度は安心をするものの、彼はもう戻っては来ない、とわびしくなってしまう。そんな屈曲が、前の歌ではさらりと描かれ、後の歌では、いかにも物語的な、微妙なゆきあいが語られていたと思う。
こうした門脇さんの新人賞に対して、巽先生は、こう述べた。
「一体に門脇さんの歌は新しいと言つて
差支えないかと思ふが、その理由の一つ
は歌を既成の文語や雅語に頼って作つて
ゐないといふこと、その二は門脇さん自
身がまつたくの新しい女で、従来のめそ
めそした『女』といふ概念で律すること
の出来ない人だといふことである。
門脇さんは新しい型の女性であつて、
然も自分の考へや生活を明瞭に言ふ。歌
は口語的発想であるが従来のいはゆる口
語歌的ではない。そこには新しい歌はど
うあらねばならぬかといふ思考がある。
新しい文学の高貴性とは、昔の文学理
念に支配されないもの、血の汗を流して
打建てるところにこそ認められるべきも
のではないだろうか。門脇さんには与謝
野晶子以後の女性として大いに活躍を望
みたい。」
受賞の挨拶の中で、門脇さんは、これから一所懸命努力をして、必ず、歌でも絵の方面でも、名を成したいと思います。といい、先生は声を出して大きく拍手をした。
その五十年後。思いもかけず、銀座での家内の油絵展に門脇さんが来て下さり、その後は家内と賀状交換やら展覧会での往来があった。東京でひとり暮らしをし、油絵と歌は続けておいでであるという。
しかしつい最近、親戚の方から、さみしいことに、死亡の通知をいただいた。
門脇さん独往のまま、ひとり死す。
『新樹』がずっと続き、巽先生の教えを受け続けておいでであったら、門脇さんは『サラダ記念日』よりも早く、名を成しておられたろうに、とわたしは残念に思う。
|