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盛岡市加賀野の社会福祉法人小原慶福会(小原宏二理事長)が運営する児童養護施設「青雲荘」と養護老人ホーム「清和荘」が創立100周年を迎えた。1904年、05年(明治37、38年)の2年にわたる東北大凶作の惨状を見かね、小原源八(1858〜1946)が私財を投じて自宅に「盛岡孤児院」を開設したのが始まり。1906年7月のことだった。敬虔(けいけん)なクリスチャンだった源八は生涯通して、受け入れた子供や老人に家族同様の愛情を注ぎ、孟子が説いた「惻隠(そくいん)の情」の実践に心砕いたという。時代とともに施設に求められる役割も変遷してきたが、創始者源八の熱い思いは今なお、引き継がれている。
源八は盛岡市四ツ家町で米穀商と醸造業を営む商家の6男として誕生した。寺子屋で学び家業に従事した後、独立。牛肉や牛乳の販売を手掛けた。仕事柄、外国人と親しく交わる機会が多くキリスト教に入信、博愛心を培ったといわれる。自由党員として政治にも執着。飢えて路頭に迷う子女や老人の惨状を目の当たりにし、人一倍の正義感に火が付いた。
孤児院の運営には大変な苦労を強いられたが、そんな中でも学齢に達した児童は小学校に通学させ、教育によって将来の自立を促す福祉を実践。受け入れた子供は最初の年が18人、翌年には55人に膨らんだ。
孤児院は多くの篤志家に支えられ1913(大正2)年現在地に新しい院舎を新築し移転。同年には原敬が知事や盛岡市長らを伴って視察し、多額の寄付を寄せた記録も残る。
1926(大正15)年には財団法人岩手養育院に改組し、1928(昭和3)年に清和荘の前身となる岩手養老院を新設。戦前戦後の混乱期を乗り越え1956(昭和31)年に社会福祉法人小原慶福会が発足し
、青雲荘、清和荘の2施設が設立された。
■児童養護施設青雲荘
児童養護施設の青雲荘には現在、2歳から18歳までの50人が職員の支援を受けながら生活している。創設から今日まで約900人の子供たちを受け入れ、社会に送り出してきた。希望すれば進学の道も開ける時代になり、大学を卒業し社会で活躍している卒園生もいる。
戦前から昭和20年代にかけては貧困や戦災によって保護者と死別したり、一緒に生活できなくなったりした児童の入所がほとんどだった。しかし近年は父母の離婚、借金苦による家庭環境の悪化などで入所する児童が増加。現在は半数が虐待によるという。子供たちの人権を擁護するだけでなく、自立に向け子供自身の人権意識を高めることが施設の重要な役割になっている。
地域に開かれた施設として子供会活動への参加やインターネットでの情報提供、ボランティアの受け入れ、学童保育・児童のショートステイといった家庭支援事業などにも積極的に取り組む。
6代目院長の小原隆さん(77)は「子供たちには受動的ではなく、能動的な人権意識を身につけさせたい。まず自分自身を大切にする心を養うこと。自分自身を大切にできない子供は他人も大切にはできない」と話す。
巣立つ園生には特にも「感謝の心」を強調し、社会に何らかの形で恩返しするよう諭してきた。「自分だけが幸せになるのではなく、お互いが幸せにならなくてはいけない。近隣に手を差し伸べることができる人間を育てたい」と力を込める。
■養護老人ホーム清和荘
一方、養護老人ホーム清和荘は今日まで630人を超える高齢者を受け入れてきた。昭和40年代前半まで老人ホームは、身寄りのない老人のための「収用の場」としての位置付けが強く、ホームで暮らす人は肩身の狭い思いをしていた。やがて「収用の場」から「生活の場」へと社会の認識も変わり、入所者が老人ホームを選ぶ時代になった。
9代目施設長の榊廣さん(64)は「高齢者を預っている、預けた、という時代ではない。残された時間をいかに有意義に過ごしていただくか。職員も利用者の声によく耳を傾け、学習していく姿勢が求められる」と話す。
「小原源八氏、二代目の院長の紀一氏ら先代の苦労を思うと、よくぞここまでと感慨ひとしお。源八が基調としていた一人ひとりの人間を認め、愛を持って接する奉仕の心を忘れてはいけないと思う」と気持ちを新たにしていた。
小原慶福会創立100周年記念式典は8日午前11時から、盛岡グランドホテルで開かれる。
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