2006年 7月9日 (日) 

       

■  〈盛岡百景〉72 青山町の赤レンガ 

     
  2棟続いて残る青山の覆馬場。手前が市が取得したもので、3棟残るうちで最も創建時の外観を残している  
 
2棟続いて残る青山の覆馬場。手前が市が取得したもので、3棟残るうちで最も創建時の外観を残している
 

 青山地区は1908(明治41)年、工兵第8大隊が弘前から転営し、軍駐留の地としての歴史が始まった。盛岡市民の誘致運動が実って同大隊が転営し、弘前の陸軍第8師団から独立騎兵第3旅団が新設となり第23、24連隊が駐屯したほか観武ケ原練兵場、一本木原演習場が設置された。

  騎兵連隊が1935年、旧満州に移駐したあとは陸軍予備士官学校、歩兵戦車隊、飛行隊が駐留。終戦とともに施設は引き揚げ者の住まい、文教施設などに利用され、GHQも接収して使った。だが、軍施設があったことを物語る遺構は多くない。工兵隊のものでは国立病院機構盛岡病院内に移設されている門柱、騎兵連隊のものでは森永乳業盛岡工場内の木造2階建て兵舎跡と衛門、民家になっている厩舎跡ぐらい。

  その中で最も存在感を示しているのが、1909年築という屋内馬場の覆(おおい)練兵場3棟。日本の近代化を象徴する一つである赤れんが造だ。うち2棟は民間が払い下げを受け使用。1棟は菓子工場が03年に撤退し所有する財務省が解体して土地を売却する計画だったが、保存を望む声に市が取得した。

  建物は平面で長辺約49メートル、短辺約24メートルの長方形。れんが造の壁面に鉄骨と木材を合わせた小屋組み(切妻)の屋根を乗せている。各辺に1カ所ずつ出入り口が設けられ、乗馬したまま出入りできた。上辺がアーチの縦長窓を長辺には16個、短辺には6個、それぞれ出入り口をはさんで左右対称に配置。れんがは一見、イギリス積みだが端部はオランダ積みに見える。

  構造上で最大の特徴は平屋建ての大空間を内部に柱1本もなく屋根を支えていることだろう。屋根はフランストラスという造りで、加重を抑えるため細い鉄骨を使いながら風雪に耐える工夫が施されている。

  全国的にも貴重な残存施設で、北海道旭川市に旧陸軍第7師団覆馬場1棟が残っているが、青山にはまとまって複数残り、希少さを高めている。活用、保存修復の計画はまだ決まっておらず、歴史の証人は補修を待っている。保存活用には名前も重要。覆練兵場や被覆練兵場と呼ばれてきたが、造られた目的や他の施設を考えれば正式名称は旧陸軍第3旅団第24連隊覆馬場とするのが本来で、日常は通称で青山の覆馬場などと親しみを込めて呼んではどうか。(井上忠晴記者)



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