2006年 8月2日 (水) 

       

■  藤原嘉藤治パネル展 セロ弾きのゴーシュのモデル

     
  宮沢賢治が代書したガリ版刷りの履歴書  
 
宮沢賢治が代書したガリ版刷りの履歴書
 
  藤原嘉藤治パネル展(かとうじ山こだまの会主催)が紫波町彦部地内の野村胡堂・あらえびす記念館で開かれている。パネル展には宮沢賢治の友人嘉藤治について、嘉藤治の年表、賢治との関係、賢治全集の編集、人生の後半を土にまみれ開拓農家として生きた嘉藤治について、藤原家が所有する膨大な資料の中から選び数十枚のパネルにして紹介している。開催期間は31日まで。

  藤原嘉藤治は明治29(1896)年に紫波町に生まれ、宮沢賢治とは花巻女学校に赴任した大正10(1921)年に知り合い意気投合。2人で楽器を演奏していた。賢治の没後は全集の出版に力を注ぎ、出版後は紫波町で開拓農家となり77年3月に81歳で亡くなった。

  パネル展では嘉藤治の人生を年表にして紹介。嘉藤治がみた賢治の女性観について書いた原稿や、友人であると同時にけんか仲間でもあった2人の関係を示す原稿として森荘己池が書いた本の文を引用。花巻病院で開かれた音楽会で賢治が嘉藤治を怒らせる話をし、顔を真っ赤にして嘉藤治が帰った様子を記したパネルもある。

  ある程度自負していた詩を賢治に厳しく批評されたという嘉藤治の回想文もある。いきさつは不明だが、賢治が嘉藤治のために代書したガリ版刷りの履歴書も展示。1文字1文字から友人のために心を込めて書いた賢治の気持ちが分かる。

  賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」のモデルといわれる嘉藤治がセロの小物として愛用していた箱、中に納められていた音叉(おんさ)や石けん、松脂などのパネル写真。箱の品物のうちセロの弦、金属製の調子笛は実物が展示されている。

  花巻女学校を退職し上京、賢治全集に力を注いだ嘉藤治。賢治全集の初版本、証人となって作成した賢治全集、名作選、童話集などの契約書の写し、賢治の弟清六さんからの手紙なども紹介。

  紫波町水分地区に入植し開拓農家となり、現在かとうじ山と呼ばれている山林を切り開き、土にまみれていた開拓時代の嘉藤治。高村光太郎が嘉藤治のために書いた開拓の詩、開拓の節目に植えたイチョウの木の写真なども紹介されている。

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