■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉10 北島貞紀 十三の「ゴールド」
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■1974年
僕は、ハコ(店)を移った。梅田「グランド」での「たちんぼう」デビューからボチボチ1年になろうとしていた。仲の良かったドラムのアフロやベースのムクムクが相次いでいなくなったこともあったが、最大の理由はこれ以上グランドにいても上手(うま)くならないと感じたことだった。ハコは、十三の「ゴールド」だった。
十三と書いて「じゅうそう」と読む。阪急京都線と北千里線、梅田から二つ目の駅で特急が止まる。その二つ先の淡路(あわじ)駅で分岐して、京都線と北千里線に分かれる。
北千里線で淡路から二つ先に、僕のアパートがあり、その先がK大前で、アクセスとしてはこれ以上ない場所だが、そんな理由でハコを選んだわけではない。
どちらかというと山の手のイメージがある阪急沿線の中で、十三だけは猥雑(わいざつ)な、いわゆるコテコテした大阪的繁華街で、ゴールドをはじめとして4、5軒のキャバレーがあった。
ゴールドに移ったのは、ギターの峰さんの誘いだった。グランドにトラ(代役)で来た峰さんと、たまたま帰りの電車が同じだった。峰さんは大男で180センチ近い身長にがっちりした体つきで、顔はキューピーさんにメガネをかけたと思えばよい。いわゆる憎めない顔なのだが、ずけずけとものを言う。
「あんなとこ(グランド)におったらあかんで。いっこう上手くならへん」
自分でも感じていることだが、他人に言われると少し腹が立つ。そんなことには頓着なく「そのうち声をかけるよってに、ウチに来いや」そういって別れた。
しばらくして、連絡があった。「ボクチャン、ウチに来いや。仕込んだるでぇ」
そんないきさつだった。
ゴールドは、単独の店舗だが店は広かった。客はエスカレーターで下に降りてゆくのだが、その階段にずらっとホステスが並んでいる。ホステスは腰のあたりに番号がついていて、客はその番号を指名するシステムで、通称「アルサロ(アルバイトサロン)」とも呼ばれていた。
ホステスは、100人は優に超えていた。「ミチコさん、3番テーブル、ご指名です」と、パチンコ店のようなアナウンスが飛び交う。がさつで陽気なお色気と活気にあふれていた。
バンドは、5人編成のコンボ(通常5、6人編成を指す)だった。オヤジさん(バンマス)がテナーサックス、峰さんのギターそしてピアノ、ベース、ドラムのリズム隊。
このオヤジさんが、一目見てやばそうな感じがした。薄い茶の度つきメガネをかけ、そう松方広樹に似ている。こわもてで、感情の動きが読みにくい。要するにとっつきにくくて合わせづらいのだ。そして怒るとコワソウ。僕のもっとも苦手とするタイプだ(僕に限らず、大概の人が敬遠するだろうが)。あいさつに行くと「まぁ、よろしく頼むわ」と愛想なくいわれて、ますますその印象を強くした。まいったなぁ。
ピアノは、僕と同じくらいの年で、背が低く、ギョロッとした目が特徴だった。ドラムは峰さん同様30歳手前、野武士のような風貌(ふうぼう)で口数が少なかった。バンド全体にあまり明るくない雰囲気が漂っている。うぅん、ここに来たのは間違いだったかなと少し後悔。
峰さんはこのバンドの番頭格で、オヤジさんの信頼もあるようだ。こうなると峰さんが頼りだった。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス代表)
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