2006年 8月5日 (土) 

       

■  〈杜陵随想〉渡部精治 いつも通る道  

 7月もどん詰まりになってようやく日の目を見る。九州、山陰地方に豪雨水害をもたらした梅雨は、世界的な異常気象のせいだという。そうした不幸をよそ目に安楽に過ごすわけにはいかない。東北の梅雨明けはまだ報道されていないので、気にはなりながらも、久しぶりの天気に感謝しながら散歩にでかけた。

  午前も10時を過ぎた太陽は、思いのほか強い日差しと道路の照り返しとなって全身を襲う。この冬の豪雪に滑って重症を負った左足首はまだ痛い。少し引きずりながらも、自力で歩行できる喜びを満喫した。

  コースは高松小学校の校庭を迂回(うかい)しながら長根に出る小径(みち)を通り、上田堤を経て東緑が丘のわが家へ戻るのである。夏休みに入った学校の校庭には人影がなく、静まり返った校舎の正面の時計までもが針を休めているように感じられた。

  校庭を過ぎると少し上りになって辟易(へきえき)する。日を遮って冷気を恵んでくれた林がいつの間にか伐(き)り拓(ひら)かれていて、散歩を怠っていた半年もの間の出来事を思い返してしまう。

  坂を上り切ると一面にリンゴ畑が広がって、変わりのない光景に安堵(ど)する。山の斜面に沿って袋かけの済んだリンゴの樹木が、期待をこめ誇らしげに見えた。この季節いつもながらのリンゴ園の風景に満足し、深呼吸を数回繰り返して帰路についた。

  そこからは上りの往路に対して完全な下り坂になる。しばらく住宅が続いても庭先に人影を見かけない。あるお宅のお留守番は長い紐(ひも)に結ばれた二匹の猫で、それが人なつこく寄って来たりする。下りの傾斜は思いのほか足に負担を強いて歩調が乱れる。

  ようやく表通りに近くなったころ、あるお宅のお庭に目をやった。「あった、あった!」思わず安堵の胸をなで下ろした。そこのお宅の庭には北国の盛岡には珍しい枳殻「からたち」が植えられてあるのだ。

  背丈ほどの木が見事に枝葉を茂らせて、今年もピンポン球ほどの実をつけていた。このお宅は昨年建て替えられ、最後に通りかかったのは工事の真っ最中で、この「からたち」の存在が気になっていたのである。

  「良かった、良かった」と足を止め枝振りを眺めていたら、「こんにちは!」と背後に元気な声がして、小学生の女の子が自転車に乗ってそこの家に入って来た。

  「こんにちは!ここの子なの?」と問いかけたら「はい!」と元気な声がかえってきた。「これ見てたんだよ」。すると咄嗟(とっさ)に「カラタチだよ」と自慢げに声が戻って来た。

  わたしはつい先生口調になって「この歌知ってる?、♪カラタチノハナガサイタヨー」と歌って見せた。「知らない!?けど、おじいちゃんかおばあちゃんに聞いてみる」と答えがかえってきた。「じゃ、聞いてみてね。とってもいい歌なんだから、きっとだよ」と、日差しが強くなり立ち話が限界であったのでその場を立ち去った。

  そこからわが家までの数分の間、春先にカラタチの白い花をみたかったなぁ、確かにトゲは鋭い針のようだった。実はまだ青かったけど黄色になるんだ。そういえば一昨年の秋に、ここのおばあちゃんから3個もらったことがある。などなど思い出しながら帰って来た。

  「カラタチは垣根よいつも通る道だよ。カラタチのそばで泣いたよ、みんなみんな優しかったよ」と、あの元気な女の子にもこのカラタチに対する思い入れや思い出があるに違いないと思った。「これカラタチだよ!」と屈託のない女の子がかわいかった。おじいちゃん、おばあちゃんから歌を聞くことができたろうか。北原白秋の詩、そして山田耕筰のメロディーをコピーして、いつかあの子に渡してあげたいと思う。 (県ピアノ音楽協会名誉会長)





本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします