2006年 8月8日 (火) 

       

■  戦争の体験を語る 矢巾町で山本さん  

     
  山本さんの戦争体験に耳を傾ける参加者たち  
 
山本さんの戦争体験に耳を傾ける参加者たち
 
  61年前広島に原爆が投下された8月6日に合わせてピースin矢巾夢まつり(矢巾九条の会主催)が、矢巾町徳田地区にある徳丹城史跡公園内の南部曲がり家前で開かれた。原爆投下直後の広島の惨状の写真や絵などのパネル展示、戦争体験の講話、夢灯りを灯し、黙とうして戦没者のめい福を祈った。

 戦争体験の話をしたのは矢巾町不動地区の山本ミチ子さん(78)。山本さんが終戦を迎えたのは樺太南部(現ロシア領サハリン)の真岡という港町だった。

  「45年8月9日から北樺太(当時北部は旧ソ連領、南部は日本領だった)から国境を越えてロシアが攻めてきて、日本人は本土に帰りたい一心で必死に南下してきていた。父と弟とあす出発というとき、ロシアの軍艦がきた。真岡には通信隊がいるほか、本当に少人数の兵隊しかいなかった。ロシアの艦砲射撃に遭いずいぶん市民が殺された」と記憶を話した。ロシアの艦船からの砲撃は終戦後の8月20日だったという。

  「それからわたしたちの苦労が始まった。ロシア兵も怖いものですから少しでもおかしいと思うと銃を撃ったり、火を付けたりする。軍用機からの焼夷弾で3万人が住んでいた街は3分の2が破壊された。わたしたちは防空壕に避難したが、どうせ死ぬなら思い切り空気を吸いたいとふたを押し開けて逃げた」。家族は樺太庁のある豊岡まで数十`を徒歩で避難した。

  「逃げるとき、わたしたちは考えた。何の抵抗もしていないのに飛行機が来て撃ってくる。このとき二十数人いた同級生の二ケタ以上が殺された。なぜ無抵抗の人間にこんなことをするのかという強い怒りでいっぱいだった」という。

  戦争の悲しさを涙を浮かべながら語り、不戦への思いを訴えた。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします