松並木
監獄馬車の窓にして
しばしばかっと
あかるむうつろ
〔現代語訳〕松並木を行く監獄馬車の窓から見る風景ですが、時々急激に赤くなる虚空なのです。
〔評釈〕「歌稿〔B〕」の「大正五年十月より」六十三首中の二十五首目の「390歌」の左下に書き込まれたもので「390・391a歌」。「入合の松並木行く檻馬車に」などもあった。「390歌」に続いての「しばしば/かっとあかるむ」は、この表現に対す作者の執着を示している。「監獄馬車」は、盛岡中学校の隣に盛岡地方裁判所があったから〔森荘已池校注『宮澤賢治歌集』〕、賢治の生活事実に基づいたものであったかもしれぬが、やはりハッとする。しかも、話者の目は、「監獄馬車」を外から見つめているのではなく、起点を馬車の内部に置いている。そこからの「かっとあかるむうつろ」への視線など賢治好みの設定だが、一首全体の評価は「監獄馬車」の唐突さを認めるか否かが鍵。
(岩手大学教授)
|