2006年 8月10日 (木) 

       

■  〈賢治の歌〉485 望月善次 松並木監獄馬車の    

 松並木
  監獄馬車の窓にして
  しばしばかっと
  あかるむうつろ
 
  〔現代語訳〕松並木を行く監獄馬車の窓から見る風景ですが、時々急激に赤くなる虚空なのです。

  〔評釈〕「歌稿〔B〕」の「大正五年十月より」六十三首中の二十五首目の「390歌」の左下に書き込まれたもので「390・391a歌」。「入合の松並木行く檻馬車に」などもあった。「390歌」に続いての「しばしば/かっとあかるむ」は、この表現に対す作者の執着を示している。「監獄馬車」は、盛岡中学校の隣に盛岡地方裁判所があったから〔森荘已池校注『宮澤賢治歌集』〕、賢治の生活事実に基づいたものであったかもしれぬが、やはりハッとする。しかも、話者の目は、「監獄馬車」を外から見つめているのではなく、起点を馬車の内部に置いている。そこからの「かっとあかるむうつろ」への視線など賢治好みの設定だが、一首全体の評価は「監獄馬車」の唐突さを認めるか否かが鍵。
(岩手大学教授)

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