■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉11 北島貞紀 夜店のウナギ釣り
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■1974年
梅田の「グランド」から十三(じゅうそう)の「ゴールド」に移った僕は、その演奏スタイル、サウンドの違いに戸惑った。グランドは、フルバンドで大所帯なので少々のミスは周りの音で消されていたが、5人編成のコンボではそうはいかない。それぞれの音が密接に絡んでくるので、一人ひとりの力量がモロに表れる。そして、サウンドも完全にダンモ(モダンジャズ)だった。テンポがメチャメチャ速かったり、モード(通常とは異なる音階)の曲があったりで、ジャズに日が浅い僕は、よく分からないまま音を出していた。
ギターの峰さんは、音に対して結構厳しくて、ステージの上で「音が狂ってる」とどなり、僕がチューニング(音合わせ)をしても「おおてないで」と何度もNGを出して、しまいには、合っているのかいないのか分からなくなることも度々だった。
帰りの電車が一緒なので、「ビート(のり)が違うで」とか「もっと1拍を大事にしろ」とか、小言の連続だった。彼にすれば親心の表れで、まぁ口うるさい兄貴のようなものだった。僕は少々うっとうしさを感じながらも、弟分の役割を演じていた。
ギョロ目のピアノは、僕から見てもトーシロー(素人)で、みんなから余り相手にされなかった。その方が怒鳴られて文句を言われるよりはるかに辛い。僕も最初のころそういう経験をしたのでよく分かったが、余り親しくはならなかった。
ギョロ目には、何かが足りない。プレイの上手い下手ではなく、アホサかげんでも自己主張でもつきぬけた何かが必要なのだ。バンドマン気質とでもいうのか、要は人間的オモシロミが欠けているのだ。
ところで峰さんだが、彼はもうひとつの顔を持っていた。なんと、国鉄マンだ。毎日、線路の点検をしているという。国鉄マンがバイトをして良いのか云々(うんぬん)は別にして、あの巨体で線路のつなぎ目を見て歩く姿を想像すると可笑(おか)しかった。昼の仕事と夜の仕事を両立させ、なお有り余るエネルギーをもっている峰さんは、モンスターだ。
「ゴールド」の歓楽街から、国道を挟んだ向こう側に「十三商店街」のアーケードがあって夜遅くまでにぎわっていた。出店もあって、毎日がお祭りの縁日状態だ。ある晩、ラストステージ前に峰さんと立ち飲みに行くと、商店街の一角に人だかりができていた。近寄ってみると、大きな金物のたらいの中で黒いものがうごめいている。ウナギだ。
2、3人が20センチ位の竿(さお)の先に針をつけた糸を垂らしている。ウナギ釣りだ。釣るというよりヒゲか何かに針を引っ掛けて釣り上げるのだ。さすが大阪、こんなものまで商売かとあきれながら感心していると、峰さんが
「おぉ、ちょっと待っとれ」といって腰を下ろした。
「なにすんの」
「もちろん、釣るんや」
露天のオヤジに竿をもらうと、真剣にウナギの品定めをはじめた。そして目をつけたウナギの動きをじっくりと追った後、なんと見事にそれを釣り上げた。
ウナギをビニール袋に入れてもらいながら、得意そうに言う。
「どや、うまいもんやろ。コツがあるんや」
「それ、どうするのさ」
「モチロン、蒲(かば)焼にして食うんや」
やっぱり峰さんはモンスターだ。
(ミュージシャン、株式会社ショップボックス代表)
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