2006年 8月20日 (日) 

       

■  〈盛岡百景〉78 旧橋本美術館

     
  橋本八百二の信念が込められた建物を生かして運営されている岩山漆芸美術館  
  橋本八百二の信念が込められた建物を生かして運営されている岩山漆芸美術館  
  国道4号盛岡バイパスから岩山を登っていく途中に1975年、旧盛岡橋本美術館は開館した。紫波町出身の洋画家で県議会議長も務めた橋本八百二(03〜79)の執念が実らせた美術館。今は閉館しこの場所に韓国出身の漆芸美術家・全龍福氏と氏が主宰する漆芸美術研究会によって岩山漆芸美術館が開設されているが、南部曲がり屋を活用した建物は現役で継承されている。

  この特異な建物は橋本の信念を表すものにほかならない。橋本の郷里では1949年ごろ、治水のため山王海ダムの建設計画が決まった。計画で立ち退きを迫られた集落にあった曲がり屋から良好な状態の民家を移築保存する話が出された。橋本も盛岡市内への移築を計画したが、実現には至らなかった。

  だが、橋本は、山王海地区に残っていた名主造りの大曲家住宅を66年ごろ入手。藩政時代には肝いりを務めた民家で、堂々たる構造材を使っていた。数軒の民家も活用し、市内の土地を物色の末、岩山中腹に土地を確保した。当初の県事業による公設の観光美術館整備は、とん挫したが、橋本は行政を頼らず71年、仮称盛岡近代美術館の建設に着手した。

  設計、施工監督は自らあたり、自作を売って整備費に充てた。次第に援助の輪が広がり、後援会も発足して橋本の取り組みを後押しし、所蔵品内容から盛岡橋本美術館の名で75年10月、ようやく開館した。入館者のしおりには次のように説明書きがある。

  〜「岩山の斜面をキャンヴァスに、南部曲家を素材として立体絵画を描いた」と自ら語る八百二の言葉に示されるように、土地の材料と職人の技術を生かし、独自の構想で建てられた。

  この美術館は画家橋本が描いた最も大きな絵。橋本は「自然環境に溶け込んで、民家の良さを生かし、自分たちの暮らしと直結する美術館」があってもいいと考え、それが曲がり屋を生かし民芸調を醸す意匠となった。

  橋本は自然主義的な風景画のバルビゾン派を強く意識。建物が林の広がる斜面の環境に受け入れられるよう腐心したのだろう。中身も洋画を中心とした作品だけでなく、曲がり屋内には農具、民具という「民芸」が展示されていた。

  同館は01年3月で閉館。財産を受け継いだ盛岡市の公募により、岩山漆芸美術館が04年5月に開館した。最小限の改修で「橋本の絵」を生かしている。
(井上忠晴記者)

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