2006年 8月21日 (月) 

       

■  命懸けだった「雲上の楽園」 松尾鉱山跡地で活用策探るフォーラム

 
     
  緑が丘アパートの廃虚を見学する参加者たち  
 
緑が丘アパートの廃虚を見学する参加者たち
 
松尾鉱山跡地を見学する「雲上の楽園再生フォーラム2006」が20日、八幡平市で開かれた。今年、鉱山跡地が産業考古学会の推薦産業遺産に認定されたことから、「雲上の楽園」と呼ばれた鉱山の遺跡を確かめ、地域の遺産として再生する可能性を探った。跡地見学には県内外から約30人が参加し、アパートの廃虚や抗廃水処理施設、鉱床があった山などを訪れた。現地は閉山後37年の歳月を経て風化が進みつつあったが、参加者は鉱山の元職員たちが生々しく語る当時の苦労に聞き入った。

 フォーラムはいわてNPOセンター(高井昭平理事長)が主催。跡地見学は現地にバスで向かい、元搬出係長の青木正さん(82)らが案内した。アパート群は廃墟と化していたが鉄筋コンクリートの原型は頑丈に残っており、東洋一の硫黄鉱山の往時をしのばせた。

  青木さんは「坑内火災は水で消せるものではないので密閉して火を消す。密閉の中で事故に遭った人も相当いた。自然発火で坑内火災になると危ないので3時には一斉に発破をかけた。全員が坑内から出てきた。外の人には松尾鉱山は3時になれば(作業員が)もう出てきて働かないのでつぶれるなどと言われたが、発破をかけるので危険だから(坑道の外に)出てこなければならなかった」と当時の仕事内容を紹介した。「雲上の楽園」は命懸けの職場だった。

  地下の坑道は全長345キロあり、延べにすると福島市までの距離に当たる。鉱山の長い歴史の中で大勢の人が埋まって犠牲になったという。

  仙台市から参加した平田洋章さん(34)は「松尾鉱山が好きで以前にも案内してもらったことがあり、廃虚の写真を撮ったりしたが、歴史的にも芸術的にも魅力あるところだ。これだけ残っているところはあまりない」と話し、日本近代の遺跡として注目していた。

  地元の八幡平市から参加した下倉スキー場支配人の高橋康行さん(44)は「地元に住んでいてもあまり松尾鉱山のことを話したこともなく、大人になってから仕事の中で鉱山のことを勉強して知ったことが多い。中和処理施設もよく見たことがなかったので、地元の人がこういったものがあるということをよく知り、外から来た人にも知ってもらえるようエコツーリズムの企画などを考えたい」と話していた。

  午後からは八幡平市寄木の県民の森森林ふれあい学習館で当時の映像の上映やパネルディスカッションが行われ、跡地を再生する方策などについて、田村正彦市長ら関係者が意見交換した。

  県民の森の竹花清所長は「当時の人の話を聞くと大きな建物なので壊すのも大変であのまま残されたほどだったという。一度失われた自然を再生するのがいかに難しいか、なぜ木が育たないところがあるのかなど、考える場になってほしい」と話していた。

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