2006年 9月3日 (日) 

       

■  〈わが歳時記〉高橋爾郎 9月

 8月上旬は広島、長崎の原爆の日、15日は終戦記念日、ことしも悲惨な戦争と平和への思いを新たにしたが、はや9月を迎える。7日は気界冷却して露白しの白露、23日は秋の真ん中、昼夜平分の秋分の日だ。畑や庭ではコオロギやスイッチョが鳴き、赤トンボが飛んでいる。
 
  9月は老人たちの月でもある。18日は敬老の日で老人福祉週間が始まる。はやばやとぼくにも町内会長さんから敬老会へのご案内が届いた。今は皆さんが老人とは言わず、お年寄りとか高齢者と呼んでくださる。ありがたいことである。

  先日、新聞の広告に「老人クラブ連合会『大名湯治の会』35周年記念」と銘をうち、旅行の募集が掲載されていた。(ぼくは頼まれてこの広告のPRをしているのではありません)場所は山形県最上山風立寺(俗称ぽっくり寺)参り、天童温泉泊まり、翌日、定義如来参拝、各班160名で数回にわたり実施、旅費1泊2日○○千円となっている。ぼくが書きたいのは高齢者たちの、ぽっくり寺参りという旅行会社の企画発想の面白さを言いたいのだ。実に明るくて愉快なアイデアだ。

  ぼくもいつのまにか老人の部類になった。気力、体力は十分だが年齢を問われるとやはり弱い。老人は内心、誰でも願っていると思う。ぼくも願っている。家族や施設にあまり迷惑をかけないで、いわばポックリとあの世に行きたいのだ。延命措置を受けて、意識のあまりないまま1年も2年も生きておられる人々がある。難しいことは分からない。いのちの意味、生の意味、死の意味をまだぼくなりに納得できていない有様である。ぼくは昭和4年生まれ。男性の平均寿命のまっただなかにいる。一期一会の1日1日を大事に大切に生きてゆこうと思っている。いまのぼくにはその答えしかない。
 
  毎朝、目がさめると畑に行きキュウリを採る。もう数日で終わるが、そのキュウリを洗い、樽(たる)に漬け込むのが、ぼくの日課だ。豊作で4斗樽に2本になった。トマト、ナス、カボチャもたくさん採れた。行事のない日は午前中は畑にいる。無理をせず疲れると木陰に行き水を飲みたばこを吸う。岩手山を望み、空の雲を仰ぎ小鳥のこえを聞く。自然の大らかな息吹きに浸るぼくの至福の時間である。

  午後は棟つづきの車庫の2階の8畳の書斎に入る。調べ物をしたり書き物をしたり、ぼんやりと考えごとをしたりする。窓から見える田園風景も楽しい。田んぼの稲の穂もいっせいに色付き始めた。
 
  蟋蟀の虚空に仏刻みをり
  母が指し父が採りたる茸 かな
  決心がついたと見えし扇 子かな
  蜘蛛の糸顔半分にされし まま
  蜩や気泡の入りし吹硝子

「翡翠楼」照井翠

(歌誌編集者)


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