2006年 9月5日 (火) 

       

■  〈盛岡百景〉80 盛岡秋祭り 南部木遣りに文化 

     
  盛岡秋祭りの盛岡山車大絵巻パレード  
 
盛岡秋祭りの盛岡山車大絵巻パレード
 

 実りの秋を控えた9月半ばの盛岡には「ヤーレ、ヤーレ、ヤーレ」という大人、子供を問わない掛け声と大小の太鼓、鉦(かね)、笛の音が響き渡る。盛岡八幡宮例大祭(13〜16日)の呼び物の一つ、盛岡八幡宮の山車だ。「盛岡八幡宮祭りの山車行事」として市指定無形民俗文化財になっている。

  山車は迎え降ろした神を祭場に練り込むというのが本来。中世に京都祇園社で風流な飾り付けと囃(はや)しで、にぎやかに練り歩くようになり、全国に広まったという。江戸文化を取り込んだ形で、盛岡山車が固められていったようだ。

  始まりはいつか。盛岡八幡宮は、第3代盛岡藩主南部重信が1671(寛文11)年、造営に着手し、1679(延宝7)年に完成したという説がある。2年後に初の祭事として流鏑馬(やぶさめ)が行われ、神輿渡御(みこしとぎょ)も同時期に始まったとされる。

  盛岡の城下町づくりも整った1709(宝永6)年、盛岡城下23丁(町)の山車と丁印が渡御に従うようになったといわれ、およそ300年前に始まったことになる。

  幕藩時代は藩主の庇護にあったが、明治維新で状況が一変。場内の八幡社のご神体は現在の同宮に遷座され、1873(明治6)年には県社となった。

  山車運行は地域の消防団が継承した。江戸時代の運行主体は1799(寛政11)年に盛岡に誕生した町火消し組。消防団が受け継いだのは必然だった。山車の音頭上げは「南部木遣り」と呼ばれる。盛岡の消防演習で消防団が演じるはしご乗りやまとい振りに接すると、音頭上げが町火消しの文化から生まれたと想像できる。

  今日の山車は、大きな大八車に「盆」と呼ぶ円座を設けて上に蓬莱山を築く。人形や花木で飾り付けて風流山車とする。風流の題目は正面が外題、後ろが見返しと呼ばれ、歌舞伎や歴史上の名場面が再現される。大きな山車を運行するのは消防団員に限らない。

  盛岡観光コンベンション協会も毎年、盛岡秋まつりに山車を走らせ、他団体も希望する市民を受け入れ、市民が気軽に参加できる受け皿ができている。各分団の参加は数年周期だが、祭り好きは毎年参加する。山車運行委員会が1958年に結成され、山車の振興に努めている。

  例年、10台近い山車が運行。全台が集結する八幡下りと大通りでの大絵巻パレードが一番の盛り上がりを見せる。
(井上忠晴記者)



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