2006年 9月5日 (火) 

       

■  〈ザ・啄木展〉2 啄木記念館 忘れがたき花 

     
  橘智恵子ら啄木をめぐる女性たちを紹介している石川啄木記念館  
 
橘智恵子ら啄木をめぐる女性たちを紹介している石川啄木記念館
 

 「わかれ来て年を重ねて 年ごとに恋しくなれる 君にしあるかな」−函館区立弥生尋常小学校の代用教員を務めていた啄木が、同僚の橘智恵子(1889−1922年)を詠んだ一首である。妻節子をはじめ、啄木をめぐる女性たちは啄木にとって「忘れがたき人々」であり、その作品に少なからず影響を与えた。

  啄木生誕120周年記念「ザ・啄木展」。盛岡市玉山区渋民の石川啄木記念館(嶋千秋館長)は、「啄木をめぐる女性たち」と題して企画展示。10人の女性たちを通して啄木の恋愛観・女性観を明らかにし、啄木の素顔に迫ろうとしている。

  「真直に立てる鹿ノ子百合(かのこゆり)なるべし」と啄木がたたえた橘智恵子は、当時19歳。「独身の智恵子は歩き方も若々しく、啄木の目に気高くさわやかに映ったのでしょう」と、同展を企画した学芸員の山本玲子さんは話す。

  智恵子は札幌でリンゴ農家を営む家に生まれ、北海道庁立札幌高等女学校を卒業後、1年補習科に学んで初等教育の資格を取った。

  明治39(1906)年4月、弥生小学校訓導として赴任。啄木と智恵子と話したのはたったの2度といわれるが、歌集「一握の砂」(明治43年12月・東雲堂刊)の「忘れがたき人々 二」に智恵子を詠んだ歌22首が収められている。

  「長き文 三年のうちに三度来ぬ 我の書きしは四度にかあらむ」(「一握の砂」より)。恋心を寄せていたのは啄木だけとも考えられていたが、智恵子も牧場主の北村謹と結婚(明治43年5月10日)する前、啄木にあてて長い文を何度か送っている。

  智恵子の淡い恋心を啄木も感じ取っていたのだろうか。「一握の砂」を智恵子に送る際、その恋しい人が結婚しているとも知らずにはがきを送っている。「−そのうちの或ところに収めし二十幾首、君もそれとは心付き給ひつらむ(あなたも思い当たることがあるでしょう)−」(明治43年12月24日付)

  このはがきは、「君もそれとは−」など一部分に張り紙がされ、大切にしまわれていたという。人妻としての立場をわきまえながら、啄木の思いをひそかに受け止めていた智恵子。大正11(1922)年10月1日、産じょく熱のため34歳でこの世を去った。

  学芸員の山本さんは「啄木は女性に対してとてもこまやかな心遣いをする人だった。日記の中でもそれぞれの女性を花に例えたりしている。作品を読んでいくと女性の心理がよく描かれているので、女性たちが啄木に与えた影響は大きい」と話していた。

  啄木は日記に「恋をするなら、仄(ほの)かな恋に限る」と記している。その淡い恋心が寄せられた女性の一人、文通相手の「平山良子」。実は男性歌人の平山良太郎(1886−1932年)だったという種明かしも面白い。

  入館料(単館入館の場合)は一般450円、高・大学生320円、小・中学生200円。会期中無休。

  問い合わせは、石川啄木記念館(電話683−2315)まで。


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