2006年 9月19日 (火) 

       

■  〈盛岡百景〉82 北上川沿いの木伏緑地と新築地花壇 

     
  手前の木立が木伏緑地で対岸が新築地花壇(ホテルメトロポリタン盛岡ニューウイングから撮影)  
 
手前の木立が木伏緑地で対岸が新築地花壇(ホテルメトロポリタン盛岡ニューウイングから撮影)
 

 開運橋から北上川上流方面を見渡すと、両岸が対照的な景観が目に入る。向かって右は市民が手入れした花壇が折々に花を咲かせ、川岸に散策道が通る。左は草の生えた広い河川敷で道路沿いには木立の緑地が整備されている。片や色とりどりのじゅうたん、片や緑深きカーテン。市街地の中に優しい風を吹き込んでくる。

  木立は木伏(きっぷし)緑地といい、盛岡駅前北地区土地区画整理事業で整備された。東北新幹線盛岡駅開業に合わせた駅前整備の一環で1976年に事業計画を決定し着工。盛岡駅前北通など約8・96ヘクタールを対象に、工事は83年度で完了した。旭橋と盛岡駅西口をつなぐ県道本宮長田町線の高架下に建つブロンズ像「青年」は岩手出身の舟越保武の作品。生まれ変わった駅前北地区のシンボルにと、地元が設置した。

  木伏緑地の辺りは住宅が建っていたが、県道が拡幅され緑地化された。98年には「啄木であい道」と愛称を付け碑を建立。細長い敷地には高木が多く、よく見る都市公園とは趣を異にする。その中に古くからの市民には記憶する人もいるはずの1本のメタセコイアが植えられている。

  このメタセコイアはかつて開運橋下流の北上川右岸で営まれていた喫茶店ぽぷら館の前にあった。戦後に植えられ、喫茶店の常連客らに親しまれている木だった。

  旧建設省の護岸工事のため喫茶店は91年に閉店し建物も解体。メタセコイアも伐採の運命だったが、保存を望む市民運動で伐採は中止となった。

  盛岡市は93年、緑地の開運橋寄りに移植。樹高は20メートル近くに及び緑地の中にあっても樹冠が目に入る。2002年には開運橋西たもとに接続する開運橋飯岡線の川側に開通時、メタセコイアも植栽され、この地で生まれた物語を伝えている。

  対岸の新築地花壇も市民運動のたまもの。ここはごみがたい積した荒れ地となっていたが、70年の岩手国体の折、地元有志による旧さくらぎ花壇クラブが花壇造りに乗り出したのが始まり。この新築地花壇は今や盛岡に欠かせない景観として、盛岡の玄関口を彩るまでに育て上げた。

  同クラブは後継者不足と高齢化を理由に解散を決断。行く末が心配されたが、市民運動を絶やすまいと盛岡市グリーンバンクが市民ボランティアを募集した。開運橋花壇クラブが01年3月に発足。盛岡の市民運動の象徴ともいうべき花壇は精神とともに継承されている。
  (井上忠晴記者)


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