2006年 9月25日 (月) 

       

■  〈盛岡百景〉83 高松4丁目のケヤキ群 

     
  住宅地の中に大きな緑を形成するケヤキ群  
 
住宅地の中に大きな緑を形成するケヤキ群
 

 北上川に架かる三馬橋の南側は、高松4丁目や箱清水1丁目など住宅地化されている。その住宅地に、まとまったケヤキの木と農地が隣り合わせになっているところがある。東北電力高松変電所に近い辺りだ。この高松4丁目のケヤキ群は北上川左岸に1901(明治34)年から構える三田農場に関連したもので、農場と同じ三田農林の所有地だ。隣接する農地も三田農場の一部。この辺りは1930年、三田合資会社(現三田農林、以後三田農林で表記)が購入している。

  木立にはケヤキのほかにスギなども見られる。ケヤキは自生のものではなく、購入直後に植林されたというのが有力だ。樹齢が調べられたことはないが、歴史的根拠がないわけではない。購入時期にというのも一つだが、ケヤキという樹種と三田農林とのかかわりから見えてくる。

  三田グループの植林は10年、盛岡大洪水に見舞われ、中津川のはんらんが盛岡に大きな被害を及ぼしたことがきっかけ。三田グループの創業者三田義正は水源地の治山治水の重要性を痛感。ただちに中津川流域の山地を購入し、増植林を開始した。三田農林の山林事業は、治山治水対策から興った。

  中津川流域にこのころ植えられたのはスギが大半だった。三田は増植林地を中津川と合流する米内川流域にも拡大。米内川流域で三田は初めてケヤキの植林に着手する。29年のことだった。植林のために調達した苗の一部が三田農場の方にも植えられと考えられる。三田農林の山林事業関係者も樹齢100年を超える樹皮の様子ではなく、80年ほどと見立てているという。

  三田農場では32年、北上川沿いの現在は農場地となっている当時は陸軍省所有地にわざわざ護岸のためクリを植樹。大木となって約20本が残っている。三田はグループの最初となった火薬商を1894年、中津川沿いの加賀野で始めた。数年後に内丸に店を移すが、盛岡大洪水で流出した川留稲荷神社を所有地を供出して造営したのは三田で、今も維持費は三田家から出されている。高松のケヤキ群も治山治水に対する三田の思いが込められたものではなかろうか。

  今では太いものでは幹周りが大人3人ぐらいで囲むほどとなる高木となった。横から見ると扇を広げたように枝を伸ばし、脇を通る道を覆うほど。目の前に三田農林が建てたアパートはコーポラスけやきと名付けられている。
(井上忠晴記者)


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