2006年 10月 2日 (月) 

       

■  投げ技豪快決着 四角い土俵の盛岡藩相撲を再現

     
  再現された四角い土俵での角相撲  
 
再現された四角い土俵での角相撲
 

 円土俵が主流になって行く中、盛岡藩で受け継がれ昭和30年(1955年)まで実際に使われていたという角土俵を使った相撲が1日、盛岡市上田字松屋敷の県立博物館で執り行われた。江戸時代は土俵を割る決まり手はなく、土俵内で勝負を決着した。ほとんどが投げ技で、現代とは違った豪快な決まり手に観客からも声や拍手が上がった。角土俵は11月末まで、展示されている。

 江戸時代、相撲で土俵が設けられるようになった当初は四角いものだった。しかし、次第に丸い土俵が広まっていき主流になった。相撲好きの南部の殿様は相撲を奨励し、南部相撲は一大勢力となった。その中で、四角い土俵にこだわり、結果として昭和の時代まで角相撲が残った。

  角相撲は同館で開催中の企画展「四角い土俵とチカラビト」にちなんで、日曜講座として行われた。県相撲連盟が後援し、昨年から取り組みや土俵入りなどに当たった。

  再現された土俵は江戸時代の史料「相撲極傳之書」を基に造られた。俵で四辺を二重に囲み、土俵を割ることを想定していないため土俵は太く幅も高さもある。四隅に柱を立てて屋根を掛けた。柱はそれぞれ黒、青、赤、白の布で巻かれ、屋根の軒下には黄の水引が巡らされた。屋根の頂部にはシャチホコが据えられている。広さは丸土俵よりも小さい。

  取り組みには社会人のほか、平舘、盛岡農の両高校の選手も出場した。盛岡藩の相撲の最初の行司流派となった岩井流「相撲取組傳書」に記載の技を現代に照らし合わせて決まり手を研究。現代にはない名の決まり手を推測、置き換えた。

  観客には分かりやすく、より多くの技を見てもらおうとあらかじめ決まり手を決めて練習し、演武として臨んだ。昨年から企画され、練習を積んできたが、力士たちは「土俵が小さく、戸惑いもあった」などと話していた。

  本行司を務めた及川司夫さん(73)=奥州市=は式守伊助の行司名を持ち、今回は「運が良かった」と話す。「長く伝統のものが残っていたことに感謝する。奥深さがある」と県人として南部相撲を誇りに感じていた。 


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