2006年 10月 5日 (木) 

       

■  〈賢治の歌〉539 望月善次 果て知らぬ世界のケシの   

 (はてしらぬ世界にけしのたねほど
  も/菩薩身をすてたまはざるなし。)
 
  〔現代語訳〕この限りのない世界の中の芥子の種(のような小さなもの)に対しても、菩薩は、身をお捨てにならないことはないのです。

  〔評釈〕「大正六年一月/一九一七年」二十一首中(〔ひのきの歌〕)の十三首目の「442歌」で、「第五日夜」四首の三首めで()は原典のもので、他の作品のように間に〈*〉などを挟まずに「441歌」に接する形で置かれている。なお、()は、「歌稿〔A〕」においても同様である。「はてはらぬ」は「果て知らぬ」である。「けし(芥子・罌粟)」は、その種が小さく古くから小さいものを表す場合に用いられ、『今昔物語』(一ノ七)にも、抽出歌と重なる「菩薩、芥子ばかりも犯され給ふ事なし。」がある。「菩薩(ぼさつ)」は、梵語bodhisattvaにより、仏教では「仏」に次ぐ地位。仏教の力の偉大さを示そうとしたのだろうが、発想が類型化を越えず平凡な作品となっている。
  (岩手大学教授)


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