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昨今は、水泳といって思い出すのはアテネで「チョー気持ちいい」と叫んだ、あの北島選手でしょうか。 昭和一桁最後の小生にとっては、やっぱり「フジヤマのトビウオ」といわれた、古橋広之進選手です。
敗戦国日本に元気を与えてくれたのは、昭和24年、日本人初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹と、戦後晴れて国際水連に復帰した最初のロサンゼルス国際大会で、3種目に世界新記録で優勝した古橋でした。
昭和52年10月、水泳専門誌『SWIMMING』(B5判・54ページ)が、ベースボール・マガジン社から創刊されました。
創刊の言葉はありませんが、編集後記で「現在の日本水泳界は子供対象の水泳教室が、大きく発展している。しかし、もう一度見直さなければならないのは、クラブやスクールの頂点となる“水泳競技”である。かつては“水泳日本”として世界に君臨した日本水泳界も、最近はやや低迷気味、水泳関係者は躍起になって立て直しを図っている。こうした努力を正しく広く理解するには、専門誌の発行が大きな役割を果たすと考えて…」と、創刊の趣旨を述べるのです。
そこで、海外の水泳界「東ドイツ」を取り上げます。「東ドイツ水泳女子の躍進は、多くのナゾを秘めている。“猛女”誕生の秘密を…」と、探ります。
モントリオール五輪で13個という大量の金メダルを獲得した、東ドイツ水泳女子選手団。これにアメリカのエース、ババショフは「エンダーに勝てなかったのは、あの体よ。筋肉がモリモリしていて男みたい。私は女です。あんなにまでして体を鍛え、勝ちたくないわ」と、語るのです。
選手強化を国家的組織で進める東ドイツの指導者は「現代スポーツは、科学とは切っても切れない関係にある。体力や筋肉の強化など幅広い分野で科学研究の成果を取り入れているが、わが国で開発されたものは公表出来ない」と口を閉じたことなど報告しますが、こうして「ドーピング」は始まったのでしょう。
ほかに、浜口喜博「水泳ニッポン再建はまず素材集めから」、浪越信夫「ベビー・スイミングを考える」、武藤芳照「水泳選手とスポーツ障害」、清川正二「栄光の男たち」、そして全国水泳お国巡りは古橋の郷里静岡を尋ねます。かくして、先のアテネでは水泳ニッポンの復活が見られました。
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