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二二四、脱線余話−盛岡弁対一関弁
9月3日、盛岡の宮沢賢治の会と一関の賢治の会が合流して大空滝に行きました。大空滝は花巻の豊沢ダムの奥、沢内と花巻にまたがる?林にある滝で、『なめとこ山の熊』の舞台となっています。童話の中では大空滝はなめとこ山にかかっていることになっていますが、実際にはなめとこ山は近くにある別な山です。
ワゴン車の運転手小笠原さんは、賢治さんの実践家で、自ら畑を耕し、例会の時にはよく手作りのパウンドケーキや漬物、芋の子汁などを振る舞ってくれます。
この日も14人の参加者全員が、ゆでたての温かいトウモロコシ(盛岡弁で「キミ」)を一人3本も頂きました。その上、クーラーボックスにはこれまた朝採りのミニトマトがたっぷり、パウンドケーキ、お昼には自家製のキュウリの漬物まで頂いて、おにぎりのおかずに、丸ごとぼりぼりかじりました。
滝壷(つぼ)に下りていく途中、転倒して軽いけがをするハプニングもありましたが、好天に恵まれ、ブナの立ち並ぶ中山街道を涼しく歩き、そこから一筋白くうごめく大空滝を眺めたうれしさ、その滝壷の岩に腰掛けて食べた昼飯のうまさは格別でした。
大空滝を見ながら亀井さんの「なめとこ山探検記」の話、森さんからは『なめとこ山の熊』に出てくる「ひきざくら」の話、そして私もこの作品の盛岡弁訳朗読と続き、帰りには大沢温泉につかって1日の疲れをとりました。(どうぞ、おもしぇ、賢治の会さ、おへれんせー。特に若い人大歓迎)
せっかくの盛岡人、一関人の交流です。私は別れぎわに小島さんに一関弁を尋ね、後日さらにお電話で取材しました。以下の記述は、それをまとめたもので、系統的に整理したものではありませんが、関心をおもちの方は、知り合いの一関の方に尋ねてさらに発展させていただければと思います。題して盛岡弁対一ノ関弁、あるいは南部弁対伊達弁ということにもなるでしょうか。
@「おしょす」の意味の違い
「おしょす」は盛岡弁では恥ずかしいという意味ですが、一関弁で「そんなごどされで、おしょすごど」とか「おしょすさまなごど」と言うと、時に「恥ずかしい」の意味が発展して「恐縮です」という意味になることがあります。
そこで思い出されたのは山形の米沢市に行った時、大きな立て看板に「おしょすの町宣言」と書かれていたことです。看板には「おしょす」は「ありがとう」という意味だとあります。
「恥ずかしい」と「ありがとう」ではずいぶん意味の隔たりがあります。しかしこの一関弁を聞いて、初めてよく分かりました。「おしょす」の「恥ずかしい」というもとの意味が発展して「恐縮です」になり、さらに「有難う」という意味に近づいたのです。
「すみません」と恐縮することが、感謝の表現になるのと同じです。日本語において、感謝の心を表すのに「すみません」と恐縮するのと同じことが、この「おしょす」の意味の変化に見られるのです。
A「ござりあんす」対「ごぜりえん」。「くなんしぇ」対「けらえんや」
盛岡弁では「おもさげござりあんす」「おもさげがんせん」などと言うところを、一関弁では「おもしわげござりえん」「おもしわげござりえんなー」と言います。
おいでになってくださいと人を誘う表現は盛岡弁では「おでってや」とか「おでってくなんしぇや」と言いますが、一関弁では「きてけらえや」「ござえんや」「ござっしゃいや」「ござってけらえんや」などと言います。
盛岡弁の「おいしぇってくなんしぇ(お許しください)」は一関弁では「ごめんしてけらえんや」と言います。盛岡弁では「すけでくなんしぇ」と援助を求めますが、一関弁では「すけらえんやー」とか「おでってやー」とも言います。「おでってやー」と言うのを聞いたら盛岡の人は「おいでください」と誤解しそうですが、これはおそらく「お手伝いしてください」を縮めた言い方でしょう。
(岩手医大教養部教授)
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