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(ひのき、ひのき、まことになればい
きものか われとはふかきえにしある
らし。
〔現代語訳〕ヒノキよ、ヒノキよ、本当にお前は(ヒノキという単なる植物なのではなく)生き物なのでしょうか。私とは、深い縁があるに違いがありません。
〔評釈〕「大正六年一月/一九一七年」二十一首中(〔ひのきの歌〕)の十八首めで、「第七日夜」とされた三首中のうちの二首めである「446歌」。初句の前の丸括弧は、原文のものである。この丸括弧は、次の「447歌」で閉じられることになるから、「446歌」を「短歌」とするか、「独立した一首」とするかについては、論議を呼ぶことになろう。「歌稿〔A〕」では、丸括弧はなかったから、両歌稿の間にある賢治の「短歌定型」観の変化に関する象徴的事例だと言えよう。丸括弧の意味については、さまざまな解釈が可能であろうが、一連の中の最も強調したい点をこうした形で表したというのが、評者の見解。羅列していた『アザリア』から、「中心を置いた」「歌稿」へと変わったのである。
(岩手大学教授)
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