2006年 10月 15日 (日) 

       

■ 〈盛岡百景〉85 3川合流地点

     
  三川合流前の雫石川に架かる在来線と新幹線の橋りょう  
  三川合流前の雫石川に架かる在来線と新幹線の橋りょう  

 川のある風景は、盛岡の大きな特徴。「杜(もり)と水の都」を象徴するのが三川合流点となろう。宮城県石巻市まで流れる北上川に右岸から雫石川、左岸から中津川が合流する一帯を呼ぶが、実は昔から3つの川がここで合流していたわけではなかった。

  原生代(約25億〜5億7500万年前)は地状から確認されているもので材木町の西側から大沢川原と盛岡駅前通の間を抜けて馬場町、清水町を流れていた。そこに流れが速く水量、土砂流出も多い雫石川が直角方向に北上川へ合流するようになり、南進していた流れが東に押し出されるようになったという。大通や菜園、大沢川原の辺りを流れていた。

  南部氏が盛岡に居城を移したころもこの流れ。北上川の河道と中津川に挟まれた丘陵は天然の要害ともいうべき場所で、川に堀の機能を持たせながら盛岡城は築かれた。川は防御上の利点をもたらしたが、一方で盛岡城や城下町はたびたび水害に見舞われた。雫石川の合流点が南に移動したのも水害を深刻にしたという。

  北上川の河道切り替えは藩の重要施策となり1672(寛文12)年、菜園方面に蛇行する流れを南西に移すため、新川を開削する工事に着手し翌年完成させた。1675(延宝3)年、開運橋付近に新築地土手が完成。大沢川原への堤防、清水町付近への後年に杉土手と呼ばれる堤防の築造で、ほぼ現在見られる三川の流れになったようだ。

  合流点付近の河原に降りて、低い位置から目に入る風景をぐるりと見渡してみる。見上げる視角からは盛岡駅周辺に近年の景観の変化がよく表れている。盛岡駅西口地区で地上20階のビル・マリオスが建ち、盛岡駅南地区では高層マンションが建ったことに象徴されるように土地の高度利用化が進行した。再開発途上のため、十数年後はまた違う景観になっているだろう。

  雫石川の上には盛岡駅で発着する列車が走る鉄橋も見える。今は新幹線の橋も並行して架かるが、昔の印象とそう変わっていないのかもしれない。1890年に開業した盛岡駅は当初、現在の仙北地区に設置の計画だったが、鉄道が人々に浸透していなかった時代、風紀や環境の乱れを懸念する声が上がり、駅は荒れ地だった旧厨川村の現在地になった。

  もし仙北に盛岡駅が開業していたら、もし北上川の切り替えではなく城の移転を選択していたら、今の盛岡はどんなまちの構造になっていたのだろうか。

(井上忠晴記者)


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