■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉23 北島貞紀 チェーン店回りのトラ
|
■1976年
大学の夏季休暇が終わった。卒業論文のテーマは決まったが就職に対する指針はさっぱりだった。切迫感が沸いてこないのは、多分に周りの影響が大きかった。
僕がバンドの世界に引っ張り込んだマー坊は、この4月に芸大を卒業していたが、ギターからサックスに転向して、完全にバンドマンになってしまった。ベースのムクムクも大学を中退していた。そして、マー坊やムクムクのようなパターンは、日常茶飯事だった。
しかし、僕の中に音楽で生きてゆくという選択肢はなかった。バンドはとても刺激的で面白い世界だが、大学卒業とともにピリオドを打つものと決めていた。そのことに対する未練や戸惑いは全くなかった。むしろ、就職をすることで始まる新しい生活、環境の変化にワクワクしていた。ところが肝心の進むべき職種や会社名が浮かんでこないのだ。
会社訪問や入社試験を優先しつつ、ぎりぎりまでバンドは続けようと思っていた。
そんな折に願ってもない話が舞い込んだ。尼崎の「百万ドル」の梶元バンドに所属して3カ月たったころ、メインバンドのバンマスから呼ばれた。
「チェーン店回りのトラをやってくれへんか」
百万ドルは、尼崎を本店として、難波と堺東、そして十三(じゅうぞう)に店を持っていた。
尼崎のバンマスは4店舗のバンドを束ねていた。全店舗とも年中無休なので(クラブ以外はどこも年中無休だった)メンバーが交代で休むのだが、そのときのトラ(交代要員)専門でやってくれということだった。週4日で、今とギャラが変わらない。その上、いろいろなバンドを経験できるわけで、僕は二つ返事で快諾した。
「先月でトラが急にやめよってな。往生しとるんや」
「梶バンドはどうするんですか?」
「コーラスバンドやからしばらくトリオでもいけるやろ。梶ヤンにはワシからゆうとくで。来週からや、よろしく頼むわ」
僕は、ひとつだけ条件をつけた。
「実は、今年卒業で就職活動があるので3カ月間だけにしてくれませんか」
「あぁ、そうか、3カ月もあればまたトラを見つけられるやろ」とあっさり納得してくれた。
「ワシの息子もな、いま東京の大学行っとるんや」
「音楽やってるんですか」
「いやいや、ドンバは絶対やらせへん」
梶ヤンは、その話を聞いて少し膨れていたが、総バンマスの話なので飲むしかなかった。
「なんや、あっという間やったな」細見が言った。
「あぁ、ホンマや。えらい世話になった」
「北ヤン」
「なんや」
「あんたの大阪弁、なんか変やで」
細見との別れだけが、心残りだった。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス代表)
毎週木曜日掲載
|
|
|
|
|
|
|