2006年 11月 5日 (日) 

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉84 八重嶋勲 何となく時局が不穏である

 ■131 明治36年12月10日付
宛 東京市麹町区台町十九 三洲舘内
発 岩手県紫波郡彦部村
 
  (手紙の中身がなく封筒のみ残っている)
 
  ■132半紙 明治37年1月25日付
宛 東京市麹町区台町十九 三洲舘内止
   宿
発 岩手県紫波郡彦部村大巻
前略今回ハ至急学科之方針ヲ定メ可然モノヘ是非入学之上苦学的勉強可致候、別紙官報ヨリ切抜キ参考ノ為メ差送リ候、日松舘ヨリ手紙参リ居候、時局上ノ事柄新聞ニ不掲折節通信可致候、乍何時総テノ費用節険候様心掛ケラレ度、余者次便ニ申残ス、早々
  一月廿五日       野村長四郎
   野村長一殿
 
  【解説】「前略、今回は至急学科の方針を定め、しかるべき学校へぜひ入学の上、苦学的な勉強をせよ。別紙官報より切り抜きを参考のため送る。日松舘より手紙がきている。時局上の事柄が新聞に掲載にならない。時折知らせよ。いつもながらすべての費用を節約するよう心掛けられたい。余は次便に申し残す。早々」という内容。
  文中の、別紙官報の切り抜きは残っていないが、上級学校の入学試験実施の公告が掲載されていたものであろう。どこか早く入学し、しかも苦学的、つまりアルバイトなどをしながら勉学をしてもらいたい、と学資の金策困難の苦衷を表している。「日松舘」は、前に居住していた飯田町(現在の千代田区飯田橋3丁目10番地内)の下宿屋。この「日松舘」には、明治40年に再び住むことになる。
  「時局上ノ事柄新聞ニ不掲折節通信可致候」は、この年2月4日、政府は日露開戦を決定。10日宣戦布告をし、いよいよ日露戦争が苛烈(かれつ)になっていく。その直前であるので報道規制がかかっていたことが推測される。
 
  ■133半紙 明治37年2月7日付
宛 東京市麹町区台町十九 三洲舘内
発 岩手県紫波郡彦部村大巻
前略陳ハ祖々母様数日前ヨリ持病ノ脳症殊ニ風邪ノ為メ臥居候、多分格別之事モ無カルベシ、去ル六日後備兵ニ対召集令発付相成来ル八日出立、九日午后一時青森兵営ニ入隊スル筈ニ候、何トナク時局之影響不穏ニ有之候、
当時ノ学事及東京地方今日形状至急一報スベシ、
一盛岡中学校ヨリ証明書等最早出願シテ受ケ置方可然候、
雪(草)鞋ノ代金如何相成タルヤ、至急回報相待候、右用事迄、早々                    野 村
  二月七日
   野村長一殿
 
  【解説】「前略、述べれば祖々母様(長一の曾祖母)数日前より持病の脳症(重病で意識障害が起こる)で、ことに風邪のため臥している。多分格別のことはないと思う。去る6日、後備兵に対して召集令が発布になり、8日、出立、9日午後1時、青森兵営に入隊するはず。何となく時局の影響が不穏である。
  今の勉強の様子及び東京地方の今日の状況至急一報せよ。
  一、盛岡中学校より証明書など早くもらって置くようにせよ。
  雪草鞋の代金はどのようになったのか、至急回報を待っている。右用事まで、早々」という内容。
  この手紙でも、後備兵の招集、入営があり、「何トナク時局之影響不穏ニ有之候」と述べている。そして東京地方の様子を至急一報せよと書いている。前の手紙の際に書いたが、この手紙の3日前の2月4日、政府は日露開戦を決定。10日宣戦布告をし、いよいよ日露戦争が激しくなっていくのである。

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