2006年 11月 6日 (月) 

       

■  〈盛岡百景〉88 聖寿禅寺と榊山稲荷神社庭園

     
  広い池を持ち南側斜面に造られた緑風苑  
 
広い池を持ち南側斜面に造られた緑風苑
 
  盛岡市中心部の北側に位置する北山に聖寿禅寺と榊山稲荷神社はある。盛岡城内には桜山、鳩森八幡宮、榊山の3神社が置かれた。榊山稲荷は本丸西側の曲輪(くるわ)に祭られ、榊山曲輪の名を残しているが、戊辰戦争、明治維新の悲哀を味わった。社のない曲輪が無言で歴史を語り継ぐ。

  城内3社は明治初期の城取り壊しにより、城を出なければならなくなった。鳩森八幡は御旅所だった現在地の盛岡八幡宮に遷座、桜山のご神体は加賀野妙泉寺山、北山への遷座を経て1899(明治32)年に盛岡城跡に遷宮となった。

  ところが榊山稲荷は遷座もなく途絶えてしまった。神社によると、初代宮司・荒川清次郎氏(1970年没)が榊山稲荷より再興せよとお告げを受け、私財を投げ打って30年に再興した。荒川氏は鉈屋町生まれで、神道とは関係なかったが、加持祈とうの修行に入り、その折にお告げが聞こえたという。

  旧藩主南部氏の所有だった北山の土地を譲り受け、榊山稲荷のお宮を建てた。隣接する聖寿禅寺は南部家第2代実光が初代光行の菩提を弔うため建立された同家の菩提寺。居城移転に伴い青森県南部町から盛岡に移った。最初は現在の岩手大学農学部に近い高源寺に仮本堂を構えたといわれ、第2代盛岡藩主重直のとき、現在地に完成した。

  寺領500石で、盛岡五山に数えられた。1805(文化2)年には当時で5000両という大金で五重塔が建立され、古い城下絵図には大きく描かれている。塔は1874年でなくなり、今は法隆寺夢殿を模して1959年に建てられた八角堂がシンボル的存在になっている。

  榊山稲荷神社には聖寿禅寺の向かって右手を通って入る。北山の斜面を生かした「緑風苑」という日本庭園が広がる。対馬藩から盛岡藩に配流された方長老による庭だったが、神社再興の当時は荒廃し谷地のようになっていた。やぶを刈り取っていくうちに築山などが現れ、荒川氏は近くの庭師中舘福松氏とよみがえらせたという。

  きれいに刈られたツツジやサツキが斜面に配置され、秋はカエデ類とともに紅葉が美しい。北山の森林と一体となりスケールを感じさせる。庭の下方には「心」の字形を配した「心字の池」が心を洗ってくれる。神社ながら池の中に観音像があるのは、方長老の作庭のゆえだという。

  神社は榊山稲荷をはじめ13の社があるため、近年は総称してもりおかかいうん神社の通称を使っている。
(井上忠晴記者)


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