2006年 11月 8日 (水) 

       

■  〈盛岡ことば入門〉320 黒澤勉 あづきまま 

 二二六、食べ物あれこれ(その二)あづぎまま・もぢ・うるこめ・めし
 
  食事にはハレの食べ物とケの食べ物があります。ハレは神事や祝い事など正式な、おおやけの世界をいい、ケとはふだん、日常の私ごとの世界に関することです。

  ハレの日の食べ物としては赤飯と餅(もち)があります。赤飯のことを盛岡弁では「あづぎまま」「おごわ」「ふかし」などと言います。昔は一日と十五日を祝い日として、その日に赤飯を炊いてお八幡様にお参りする家もあったといいます。赤飯がハレの日の食、慶事に用いられることについては、赤に厄除けの力があると信じられていたためといわれますが、特に民間の信仰であったようです。

  「もち」も祝いの日の食べ物で「きなごもぢ」「ごまもぢ」「くるみもぢ」など味付けして食します。「もち」は「もちいひ」を略した言葉です。古語の「いひ」はコメを煮、また蒸したものです。「もち」は粘り気が多くて、搗(つ)いて餅とすることのできる米・粟(あわ)・キビなどの総称で、その反対が「うるち」で粘り気の少ない澱粉(でんぷん)を主としたものです。

  日常のご飯はコメとしては「うるちまい」ということになります。農家の人は「うるこめ」と言っています。「うるち」は「うるしね」が変化した言葉で、インド語に由来すると『大言海』には出ています。歴史的にみると、縄文人が狩猟採集の生活をしていたところに、南方から弥生人がやってきて、その弥生人がコメをもたらしたとされています。

  北部九州あたりで始まった稲作は三世紀ごろには東北北部でも行われるようになったといいます。いずれにせよ、「うるち」という言葉調べは、その原産地を探すロマンにもつながっていて興味深いものがあります。

  「いね」は「飯根」(いひね)を縮約した言葉とされていますが、『大言海』には次のように説明しています。

  「草の名。その実をコメと言ひ、我が国人の、日常食用の最とする穀物にて、瑞穂国(みずほの国)の精華なり。春、種を下し、夏に至り苗を分ちて、水田に移す。茎の高さ三四尺、葉は細く長し、夏季に茎の頂きに花を生ず。穂にして長さ、八寸、秋実る。数十百粒綴りて芒(のぎ)多し、その子即ちコメなり。」(「芒」は、イネの外殻にある針のような突起です)。

  何か一編のイネ賛美の詩文のようにも読める文章で、コメを育ててくれるイネなるものに対する敬虔(けいけん)な思いも伺われるようです。

  「コメ」という言葉は「コミ(小実)」が転じたとも「ニコミ(柔実)」が転じたともいわれています。また、「もち」の語源については、「蒸し」の変化とも、「持ち(「保つ」の意)」の変化ともいわれています。

  ケの食事は、毎日のご飯、味噌(みそ)汁、おかず、漬物といった地味で、特別においしいわけではないが、私たちの活動の源となる食べ物です。「腹が減っては戦はできぬ」と言いますが、空腹では仕事はできません。特に昔のような肉体労働の多かった時代にあっては十分におなかを満たすことが必要でした。その中心になっていたのが、ご飯―即ちコメの「めし」でした。

  「めし」という言葉は動詞「召す」を名詞としたもので、本来は「お召し上がりになるもの」という意味です。このように「めし」は、飲む、食うの尊敬語であったわけですが、今では「ご飯」の卑語になっています。「お前」がもともと尊敬語であったのに、今では卑語に近くなっているのに似ています。

  「ご飯」は漢語の「飯」(ハン)に「ご」という接頭語がついた丁寧語です。接頭語の「ご」は漢語の名詞につくのに対し、「お」は和語につきます。「ご」は漢語の「御」ですが、「お」はお魚・お皿・お茶のように和語につきます。「お」は「おほみ」が「おほん」となり、「お」と変化したものです。そして「おおみ」は、神や天皇に関する物事につく接頭語でした。「おおん」ならぬ「お」の価値も低くなった、といってもよいでしょう。

  「いい」という言葉が「めし」に代わったのは室町時代のころといわれ、近世末期になって「ご飯」という言葉が登場したようです。「いい」から「めし」、そして「ご飯」と、より丁寧な言い方へと「進化」してきた、といえるでしょう。

  今や電気釜の時代で、お焦げを作ることなどはほとんどありませんが、昔はかまどやストーブにご飯釜をかけて、下で火を燃やして炊きましたからよく失敗をしました。芯(しん)があって、中まで煮えていないご飯は「めっこめし」と言いました。「めっこ」とは、目の見えない人とか、一方の目の不自由な人のことを言います。「目」に接尾語の「こ」を付けたのが「めっこ」で「めっこめし」とは、不十分だ、中途半端だということでしょうか。考えてみれば、差別語といえるのかもしれませんが、意味など考えず、よく使われていました。通人は「八幡町めし」などと洒落(しゃれ)て言いましたが、遊廓のあった八幡町は不夜城で、いつ「寝ている」かわからないというので、それを「煮えている」と掛けて「ねでるが、ねでねがわがね(煮えているか、煮えていないのか、わからない)」ということから、こんな言い方も生まれたようです。
  (岩手医大教養部教授)




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