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戦前戦中の教育を語る吉田六太郎さん |
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賢治を通して平和を考える講演会(宮沢賢治の会主催)が4日、盛岡市中ノ橋通のプラザおでって3階ホールで開かれた。講演会は賢治の生誕110年記念で開かれたもので会員や市民55人が出席。賢治の会事務局の黒澤勉岩手医大教養部教授、元賢治の会会長の吉田六太郎さんが賢治の平和の考えを語った。
吉田さんは戦時教育をした立場から語った。「わたしが宮沢賢治という名前を初めて聞いたのは師範学校4年のとき、公会堂で横光利一の講演で宮沢賢治の話を聞いた。教師になってから、宮沢賢治の童話を子供たちによく読んで聞かせ、賢治のことを次第に知るようになった。青年たちと一緒に賢治の作品を読む会を始め、そして青年たちと毎年自転車で花巻に旅行し賢治の碑、賢治の家で拝ませていただいていた」と賢治作品との出合いを振り返った。
「そのころは平和という言葉を口にすることができない時代だった。賢治はどういうふうに平和というものを書いていたのか、農民芸術概論で世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ないと語ったが、そういうことを唱えた文学者は賢治以外はない。人間の世界ばかりでなく自然と人間は一体なんだという考え方」。
「賢治が教え子にどのようなことを話していたか、“学校では天皇陛下が一番ありがたいと教えていますが、それは天皇をとりまく一部の人たちの都合の良い考え方。世界で一番ありがたいのは太陽です”と話している。そういうふうに賢治は平和というものを考えていた」と賢治の平和の考えを説明。
「わたしは学校の国定教科書の通り教えていた。ところが敗戦とともに黒く塗りつぶされてしまった。つまり墨を塗ったところはウソを書いていたわけです。わたしはそれを子供たちに信じ込ませ戦地に送った人間なんです。少年兵で出征し亡くなった子供たちの親に子供を返してくれと言われたら、わたしはなんておわびをしようかとびくびくしながら教師を続けてきた。賢治のことをもっともっと知って自分の身近なものとして考えていればこういうことはやらなかった。わたしは教師を辞めず、うそつき教師の見本になって若い先生方にわたしがしたことをさせないように体を張ってでも頑張ろうというのが戦後の教員生活だった」と、教師としての自身と賢治を比較するように平和への思いを語った。
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