■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉24 北島貞紀 音が出せない
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■1976年
そのコンボバンドは、今まで僕が経験してきたバンドと明らかに質が違っていた。まず楽屋に入ったときからの空気が違った。みんなが「よく来てくれました」という温かい雰囲気で迎えてくれた。そこは、百万ドルチェーン店のひとつ、堺東の「花束」。
そしてステージが始まる。サックス、ギター、ベース、ドラムそしてピアノのクインテット、楽屋の温かい雰囲気に適度の緊張感が加わって演奏が始まった。そのサウンドがやわらかくとても美しいのだ。一人ひとりが一音一音をとても大事に出している。1曲ごとに全員がそのイメージをつくり上げようとしている。
驚きと感動とともに、冷や汗が出てきた。バンドのサウンドがあまりにきれいにまとまっているので、音が出せない。自分の音がこのアンサンブルを壊してしまいそうで怖くなってしまったのだ。こんな経験は、本当に初めてだった。
1回目のステージが終わって楽屋に戻るときに、ベースのたちん坊で初めて舞台に立ったときのことを思い出した。初めてプロのバンドに触れた感動と、音を出せない惨めさを感じた時のことを。
バンドの仕事を、音楽をナメテいた自分がとても恥ずかしくなった。ピアノを始めて半年やそこらのトーシロー(素人)が来てはいけないところなのだ。それと同時にこんなバンドもあるんだ、これこそ本当の音楽だよなという感動も大きかった。
「お茶行きませんか」とメンバーに誘われて喫茶店に行った。
「すいません、サウンドがあんまりきれいなんで、音が出せません」
「いやいや、大丈夫ですよ、気楽にやってください」サックスの藤原さんが言う。
「本当によくまとまってますね」
「まだまだですよ。時々練習してますけどね」
「えっ、バンドで練習してるんですか」
「週に1回位ですけどね」
堺東から難波、難波から梅田、梅田から豊津までの電車を乗り継いでの帰り道、僕はずっと考え込んでいた。いったいこの4年間僕は何をやってきたのだろう。ただステージ立っていればいい、とにかく音が出てりゃいい、いくらか初見ができれば御の字、そんなレベルのバンドを渡り歩き、特別ショーのときぐらいしか練習しないのがバンドの常識。ひょんなことからこの世界に飛び込んで、その上っ面を舐(な)めて、バンドマンであることだけに満足していた自分。
もうじき去ろうとしているこのバンドの世界、実はもっともっと奥が深いのだ。本来あるべきバンドの姿、音楽に真摯(しんし)に向き合い、曲を愛し、バンドのアンサンブルを大切にする。そして気がついた。ここが到達点ではなくて、ここが出発点なのだ!
来週から、遅ればせの就職活動が始まろうとしていた。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス代表)
毎週木曜日掲載
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