2006年 11月 27日 (月) 

       

■  〈盛岡百景〉91 法泉寺庭園

     
  手前に池を配し高木、低木が多く植えられている法泉寺庭園  
  手前に池を配し高木、低木が多く植えられている法泉寺庭園  
  今は国道4号バイパス整備で分断されているが、盛岡藩主南部氏はまちづくりで北山地区に寺院群を築いた。寺院群の北東に位置するのが臨済宗の法泉寺で、寛永年間(1624〜44)、同じ北山の東禅寺住職だった東岩和尚が開創、南部重直の代の1671(寛文11)年、行信の母堂大智院の菩提のため法泉寺として開山したといわれる。

  寺には盛岡藩預かりとなった郡上八幡城主の金森兵部少輔頼錦、相撲行司の長瀬越後、洋画家五味清吉らの墓がある。著名人の墓地であるほか、法泉寺の名が知られるのは、盛岡藩お預けの身となったもう一人の存在も大きい。対馬藩の名僧ながら国書改ざんの罪で1635(寛永12)年、盛岡藩に来た方長老(1588〜1661)がその人。本名は規伯玄方だが、お預けの身の上から、自ら無方と呼んでほしいと言ったと伝えられる。

  1658(明暦4)年に赦免され離れるまでの23年間、方長老は寺門前の以酊庵(いていあん)と呼ばれた庵(いおり)で暮らしていた。当時最新、最先端の諸事を盛岡に広めたと言われ、先人、恩人と受け止める市民は多い。みそ・しょうゆや清酒の醸造技術、アマドコロを原料とした黄精あめなど経済、生活文化の普及への大きな貢献があった。1985年、方長老350年まつりが開催され、寺の境内に記念碑が建立されたのも市民の心の表れだろう。

  方長老が盛岡に足跡を残した一つが造園技術。法泉寺庭園も方長老の手による。2006年、新築した本堂と庫裏の北側にあり、北山の南向き斜面に自然の地形を生かした庭が築かれた。

  庭には池、石、石灯ろうが配され、特に石灯ろうは自然石の肌合いを生かした素朴な磨きとデザイン。方長老は造園した範囲を越えて、周囲の環境と調和した景観に重きを置いたのではないかと推察される。シダレザクラやモミジ、ツツジ、松などを筆頭に四季折々の風情を楽しめる。

  寺には京都出身の日本画家で旧制盛岡中学の教壇に立った中井汲泉(1892〜1970)の画碑も建立されている。中井は法泉寺の辺りを好んで散策したといい、子弟や知人の尽力により74年に建てられた。盛岡在住中の染め絵作品「雪路」が刻まれ、北国の素朴な子供たちの姿からは盛岡で過ごした中井の思いがしのばれる。

  方長老も中井も西から盛岡に来て、盛岡を離れて最期を迎えた。法泉寺には、盛岡と2人の奇縁が残されている。
(井上忠晴記者)

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