1200年前から、ツイン川の河口を通じて海の出口を持っていた。早くからブルージュは交易の中心地になっていた。
フラマン人は布地を、イギリス人は羊毛を、北欧人は魚と木材を、ロシア人は琥珀(こはく)や毛皮を、スペイン人はワインを、イタリアのロンバール人は金色の布地、ベネチアア人やジェノバ人は絹や東洋の珍品をそれぞれもたらした。下流のダームの町はブルージュの玄関口だった。最盛期には一日だけで150隻の交易船がやってきた。
取引所の元祖
ブルージュの豪商のヴァン=デル=ブールスは広い自分の邸宅を解放して商品取引に利用させていた。
それでいつの間にか本人の名前「ブールス」がそのままフランス語でも、ドイツ語でも取引所の名称になり、今日でも株式市場の名前として通用している。
十三世紀になると、ブルージュはハンザ同盟のまとめ役を果した。ドイツの北海の港リュベックがその中心だったが、このハンザ同盟は最盛期には西はブルターニュのナントから、東はロシアのノブゴロードまで、64の都市が参加していた。
ブルージュは「北のベネチア」とよばれ、町に多くの運河があり、大商人は自宅の前まで交易船を横づけできた。
ブルージュの衰退
だがブルージュの繁栄は突然ストップした。海とは13キロ離れていたツイン川が土砂に埋まり、貿易船が来られなくなった。その繁栄はゲントに奪われた。それも長く続かず、次はアントワープに繁栄は容赦なく移ってしまった。
ブルージュはまるで時計の針が止まった中世の町になってしまった。
しかし長い眠りの都の目を覚まさせたのは、外国人観光客の到来。まずイギリスの貴族や富豪がやってきた。イギリス人は観光の開拓者であった。
鐘楼が目印に
ブルージュ駅前を左に進み、公園沿いにアルバート通りを10分間歩くと、噴水のあるザンド広場に出る。
ここで右折してズイドザンド通りを進むと、世にまれなる美しさのマルクト広場に到着する。ブルージュの町で道に迷ったらこのマルクト広場にある。ベルフォールト(鐘楼)をたよりに、ふり出し点に戻ればよい。
この広場の南にある鐘楼は町のシンボル。東にはネオ・ゴシック様式の州庁舎と郵便局、北と西側にはレストラン、カフェ、みやげ物や、それに銀行もある。アイスクリーム屋や、客を待つ馬車もある。
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