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下の橋と下の橋教会(左) |
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中津川に架かる代表的な橋の一つ、下の橋は、南部氏が盛岡に居城してからほどなく渡されたようだ。盛岡城そばの中津川には、街道筋の上の橋が1609(慶長14)年に、中の橋が1611年に、最後に下の橋が1612年(諸説あり)に架橋が進んだ。
現在の下の橋は1912(大正元)年に架け替えられたものだが、木造欄干と江戸時代の青銅擬宝珠(ぎぼし)が据え付けられ、城下町だった藩政時代の面影を伝える景観となっている。
橋は市道の延長線上にあり、特に戦後は車両の通行が日常化し、年々通行量は増大していった。市では橋げたを増強するなど重量に対応できるよう補修工事を重ねてきた。それでも近年までは、路線バス以外の大型車両の乗り入れが制限されていた。
しかし、車両の重量化や通行車両のさらなる増加はとどまらず、老朽化や劣化が顕著となり、1995〜96年にかけ現橋は架橋以来、最大級の補修工事でこのときは橋げたと床板(しょうばん)が強化されている。木製欄干と擬宝珠が残されているのは全面架け替えされなかったためとも、残すために補修で対応してきたとも、どちらとも言える。
その下の橋から盛岡城跡の方を眺める。赤い屋根に白い壁の下ノ橋教会は変わらずにあるが、かわら屋根ながら緑の板壁に縦長窓の洋館はもはやなくなっている。その奥にあった岩手女子高校の木造寄宿舎も姿を消した。
現在は大沢川原に移った岩手女子高校は1921(大正10)年、盛岡実科高等女学校として設立された。開学の場所は、岩手公園下南側の下の橋に近い元作人館中学校舎跡だった。同校は27年に岩手高等女学校と改称して組織変更。40年に元岩手中学校地に移転している。公園下には設立当時から寄宿舎が設けられた。29年の冬に寄宿舎の1棟が全焼する火災にも遭ったが、校舎移転後も寄宿舎は運営され現代まで残っていた。
下ノ橋教会はプロテスタント系の盛岡における草分けの一つで、現在地には1895(明治28)年に最初の会堂が完成(1945年焼失し現在は戦後のもの)し、変わらずに信者が集まっている。
周辺は旧大村旅館の建物が残されているものの、盛岡百景に選定された1989年当時とは景観が変わっている。都市計画道路の計画もあり、変化はこれからも起こるだろう。
(井上忠晴記者)
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