| |
|
|
| |
 |
|
| |
佐藤昌介を映したフィルムを展示している盛岡市先人記念館 |
|
盛岡市本宮の市先人記念館(吉丸蓉子館長)で1日から第36回企画展「佐藤昌介 北海道大学の父」が開かれた。来年2月4日まで。明治の札幌農学校を最高学府に興し、北大の父と呼ばれた岩手の教育者を紹介している。南部藩士の子弟の佐藤昌介は札幌農学校第1期生としてクラーク博士に見込まれ、長く北大初代総長を勤めた。幕末から昭和までの佐藤の事績を通して、北大を舞台にした日本の近代教育の歩みをたどる企画展となっている。
佐藤昌介は1856年、花巻市に盛岡藩士佐藤昌蔵の長男として生まれた。盛岡の作人館では原敬と同窓で、東京外国語学校でクラーク博士と出会う。北海道開拓と農業の重要性を説くクラークに感化され、札幌農学校の第1期生となる。卒業後は私費で米国に留学し、ジョンズ・ホプキンス大学で学位を得て帰国した。
企画展では藩士としての佐藤家のバックボーンや、東京遊学時代を伝える資料を展示。佐藤昌介にあてたクラーク博士の書簡(北海道開拓記念館所蔵)は、明治の学徒たちの青雲の志を今に伝える。同記念館の田崎農巳学芸員は「佐藤昌介は札幌農学校第1期の生徒の中では、クラークの日本人学生の一番だったと言ってよかった」と話し、固い師弟関係をしのんでいる。
米国留学から帰国した佐藤は「札幌農学校無用論」という廃校の風説に直面する。佐藤は森有礼や井上馨など明治の群像と渡り合いながら、農学校を北大へと発展させていく。この間に同郷の新渡戸や原との知遇を通じて佐藤昌介がスケールを広げていくさまを、人間的なエピソードとともに紹介している。
田崎学芸員は「盛岡藩出身の良い先輩として新渡戸が、友人として原敬がいた。昌介が無給のときも原敬が新聞記事を書く仕事を紹介するなどしていた」と話している。佐藤の姿を撮影したフィルムや肉声を吹き込んだレコードも展示され、1月20日には上映会が行われる。
|