日本の美術誌は、明治30年創刊の『美術評論』あたりまでは日本画、または洋画中心の専門誌でした。
日本の美術総合誌の第1号は、明治32年3月創刊の『美術』だといわれます。以降『美術新報』(明35)や『みづゑ』(明38)と続くのです。
昭和54年8月、美術総合誌『アートグラフ』(A4判・172ページ)が協和出版から創刊されました。
表紙は、三栖右嗣の「フラメンコの女」です。その三栖を「巻頭ワイド特集」に組むのです。
昭和43年は「イザナギ景気」といわれました。カー・カラーテレビ・クーラーが「3C」として新三種の神器と持てはやされ、消費は美徳とばかりに土地の公示価格も発表されました。土地と共に美術品も投資の対象となり、売れる絵としての抽象画が美術市場を活気づけ、昭和50年代には最盛期を迎えました。
そんな風潮を憂慮して、幅広い市民感覚に応える健全な美術誌を目指して、本誌は創刊されたのです。
それまで写実主義一辺到で生きてきた三栖は、昭和35年から45年までの10年間、作品の発表を中止しましたが、その彼を創刊特集に組んだという訳です。
「抽象にあらずば絵かきならず、といわれた60年代の抽象・前衛の波が去って、リアリズム絵画の復権が問われ出した70年ごろ、この画家は、それまでの沈黙を一気に爆発させる如く猛然とキャンバスに向かったのだ…(略)」と、昭和46年作の安井賞入選となった「シャコタンの漁村・北海道シリーズ」から、人物・裸体・沖縄・海・田園と、昭和53年の「スペイン・光と影シリーズ」まで、30点を載せるのです。
これに、村瀬雅夫「三栖右嗣の世界」など、桑原住雄・松永伍一らが評論を寄せ、対談「人間回帰・スペインの旅」は、三栖と下重暁子が語ります。昭和26年の芸大卒業制作からスペイン風景までの20点も紹介しますが、初期の画風は小磯良平に似ています。
「芸術風土記」は北陸編、宮本三郎と郷倉千靭です。工芸探訪は輪島塗・珠州焼・九谷焼で、郷土を語るには西山真一・羽根万象・長崎莫人・畠山錦成・江尻十九郎らが登場します。「画壇の新しい波・昭和世代の日本画」は、若手作家の座談会と作品展です。
ほか、平山邦夫・田崎廣助・桜井祐一・小松均・室井東志生など絵画・彫刻・評論が載り、美術誌の正統派を誇示するのです。 (毎週日曜日掲載)
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