食べ物あれこれ〜にどいも・ごんぼ・これかど・ねごまだぎ
「にどいも」というのはジャガイモの昔の言い方です。「にどいも」という名前は、1年に2回収穫できるところからついた名前ですが、実際には1度しか収穫しません。「にどいも」は「かます」に入れておいて、保存食としました。煮ものにしたり、小麦粉を入れて「いももぢ」にして、火ぼどで焼いて食べました。
「こめのまんま、くわねで、かぼちゃばっとだの、いももぢ食べあんした」とか「きみも、のっこりまいで、5本も6本も食って、まんまをよぞんだのす(節約したんです)」と言うように、コメはそれを育てている農家でも食べるのを惜しんで売り物としました。
「ごんぼ」とはゴボウのことですが、今は真っすぐなものが売られていますが、昔のゴボウはタコの脚のように枝分かれしていて、掘るのに面倒だったといいます。
「ごんぼほる」というと、うるさく文句をいう、くだをまくということですが、一つ所に腰をすえてしなくてはならないことから、駄々をこねるというイメージに結びついたと思われます。
「ねんず」はニンジンの訛(なま)りで「にんず」のようにも発音されます。
このほか「つるもの」としては、「かぼちゃ」「きゅーり」「すいが」「とーがん」「うり」「きんかうり」などが、その他にまた「なす」「とまと」などが栽培され、食されました。多くの農家では総計すると、30種類、40種類もの野菜、穀物を育て、家族の食料とし、また盛岡の町方の食料として送り届けました。食料はいのちを育(はぐく)むものであり、農業はそういう点でいのちを守り育てる尊い仕事だといえるでしょう。
昔の農家にとって、食べるものは自分の家で育てるのが鉄則で、栽培せずに買って食べるようなことがあると「なに、あそごでぁ(あの家では)、ネギ買ってる。なんぼ(いくら)ぜんこ(お金)あっても足りねんだ」と笑われたといいます。
それも単に栽培するというだけでなく、上手に加工、調理して、「すみすもぢ」(米の粉を練って作った餅(もち))や「そばきり」を作り、ミソや漬物、納豆を作ることが重んじられ「よぐ、へごまに(まめに)すみすもぢこしぇる」とか「へごまな(まめな)人だ」(町方)の人は「せごま」と言っているようです)と言って讃(ほ)められました。昔の農家の暮らしにおいて、自給自足的な勤勉さが重視されたといえましょう。
昭和10年代、20年代の食事はコメ、その他の穀物、野菜が中心で、それも十分でなく、肉や魚を食べることは今よりはるかに少なかったといいます。大げさにいえば、いつも空腹で栄養不足気味の生活だったといってもよいでしょう。
蛋(たん)白源として、昔よく食べた魚の中で思い出されるものを高橋タミ子さんに挙げてもらったところ、「かど」「にし」「ねごまだぎ」「いが」(イカ)「くずら」(クジラ)「ほっけ」「さが」「きんきん」「すずき」「たご」養殖物でない「あゆ」「やまめ」…などといった名前が出てきました。
「かど」は生ニシンのことです。ニシンの卵−いわゆる「かずのこ」のことを「かどのこ」という地方がありますが、この「かど」です。「かど」はアイヌ語から来ているのではないかとする説もあります。「かずのこ」というと「数の子」と考えられがちですが、「かどのこ」が訛って「かずのこ」となったのでしょう。
また「にし」は「ニシン」の訛りで、ほとんど二拍で発音されます。ニシンについては身を二つに裂いて干すところからニシン(二身)となった(大槻文彦説)とか、「二親」の義で、盆や正月に両親のそろっている者は必ず食べなくてはならない魚だったから(柳田国男説)、などという説があります。
「ねごまだぎ」は塩引のことで、あまりしょっぱくて猫もまたいで通る、というユーモラスな命名でしょう。
高橋さんによると、昭和10〜20年代には、町に店をかまえている魚屋の他に、リヤカーに魚を積んで売って歩いている人もいて「さがなやでがんす。なにがおげって(お買いになって)くなんせ」「なに、おげんすか(何を買われますか)」などという言葉が耳に残っているといいます(その人の子は今、軽自動車で魚を売って歩いているとか)。魚はいたまないように、氷を入れて1匹ずつその姿のまま、運んでいたので、その場でおろしてもらいました。
今の若い人は、切り身になっている魚を買うので、魚の名前を知らない、などといわれます。パックに入れられた切り身は確かに清潔で、煩(わずら)わしさもなく、便利でしょうが、生き物を食べているという「いのち」への感覚が失われる恐れもあると思います。(「いのち」への感覚を大切にするのだったら、生きている魚を売るのが一番でしょうが)
(岩手医大教養部教授)
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