2006年 12月10日 (月) 

       

■  〈賢治の歌〉603 望月善次 雪と見つありふれごとと

 〔雪と見つありふれごととわらひし
  に今日はまことの雪ぞふりける〕
 
  〔現代語訳〕(つい先日まで、花を)雪と見て、それは(この北国では)当たり前のことと笑ったのでしたが、今日は、本当の雪が降ったのです。

  〔評釈〕「歌稿〔A〕」「大正六年四月」四十四首中の三十八首目の「487歌」。「ありふれごと」は「有り触れる(文語「ありふる」)」からの造語か。一首の意味の特定は必ずしも容易ではないが、一応「雪と見つ」を「(花を)雪と見た」と特定し、その後の意味をそれと整合性のあるものという観点から特定してみた。例えば、「ひきざくらの花」を「どうしも雪だよ、おっかさん谷のこちら側だけ白くなってゐるんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」と言った「なめとこ山の熊」の子熊の「甘えるやうな」声を想定したのである。熊親子のように劇的ではないにしろ、それに近い感情は、北国の住人の思いのどこかにはあったのであり、それは正しく「ありふれごと」でもあったのである。
(岩手大学教授)
 

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