2006年 12月18日 (月) 

       

■  〈盛岡百景〉93 大清水多賀庭園

 盛岡市清水町の料亭・大清水多賀は、その料理とともに老舗ならではの建物と庭園が魅力。庭園は市内に現存する貴重な日本庭園の一つとして、市から保護庭園に指定されている。

     
  大清水の名にふさわしい池泉築山回遊式の庭園  
 
大清水の名にふさわしい池泉築山回遊式の庭園
 
  建物の大広間側を前面にした庭は、阿部長太郎の手により1935(大正10年)に造られた池泉築山回遊式庭園。池を巡る形で1205平方メートルの庭を見て回れる。大広間の広い間口に呼応するように南北方向に長い池、手前は芝生に飛び石を置いて動線をつくっている。池はナスのような形状で重心は南寄り。重心とは反対の細い側に寄って石橋を渡している。

  池の左右から後背にかけて高木、低木を植栽。西側南寄りに築山を配して緑の密度を濃くしている。大広間の面とは並行ではなく、南側に来るにつれ距離感が縮まるような印象を与えている。石材は、灯ろうを除いて盛岡市東部の白滝付近の産出だという。石の使い方も見どころで、池の岩組、捨て石や飛び石の材質、配置ともに評価を受けている。

  大清水多賀は戦後、駐留米軍が接収したことや都市計画、近年のマンション建設などで敷地が削られたり改変された部分もあったようだが、核心域は今日も受け継がれ、客の目を楽しませている。

  池の水は当初、近くの南昌荘から引かれていたという。南昌荘の庭園は1868(明治元)年ごろ、みちのくの鉱山王と呼ばれた実業家、瀬川安五郎が所有の時代、阿部長太郎の父阿部仁太郎と川目末松によって造園されたという説があり、縁ある双方が残り、保護庭園に指定されているのもおもしろい。

  大清水多賀の名は大清水という名水の場であったこと、近くに多賀神社があったことに由来する。細川正五郎、サダ夫妻が川魚専門の小料理屋として1872(明治5)年に創業した。

  1892年ごろから、名物のうなぎ料理を出すようになった。そばの金比羅神社の祭りで出し大当たりしたのがきっかけという。多賀神社は1868年に盛岡八幡宮に合祀された。しかし、金比羅神社は今もそばにある。

  多賀は明治後期から市内各地に店舗を展開したが、第2次世界大戦の戦中は本店も休業を余儀なくされ、支店も閉店される。戦後は1950年に再開された。建物は明治以降に建てられた大正の息吹をかぐわせる意匠。2001年にリニューアルした。
(井上忠晴記者)

 

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