2006年 12月25日 (月) 

       

■  〈盛岡百景〉94 上の橋際のイチョウ

 仕事や旅行で盛岡を訪れた人が、この大イチョウに遭遇したら何と思うだろう。何も感じないというのはなしとして不思議な光景と思うのが大多数ではなかろうか。盛岡の市民運動の象徴ともいうべき背景を知らなくとも。

     
  市民の切望で救われた大イチョウは中津川沿いになくてはならない景観に  
 
市民の切望で救われた大イチョウは中津川沿いになくてはならない景観に
 
  推定樹齢100年を超えるこのイチョウ。ある伐採の危機を免れ今日の大木の姿がある。では30年以上も前に話をさかのぼってみることにしよう。

  上の橋から与の字橋までの中津川右岸は、かつて狭い道が通るだけで、川沿いには87年に市内の上田に移転している県立中央病院が立地していた。イチョウは病院棟のそばだったこともあり、今のように市民の多くに知られるほどではなかったようだ。ここで1970年代、道路を拡幅整備する事業が具体化する。道路用地には中央病院の敷地が一部かかっていた。計画では敷地内にあった当時で樹齢約70年のイチョウは片側1車線の道路中央付近に当たり、伐採される運命だった。

  ところが、市役所には思ってもいない声が届いた。それは保存を訴える声。この路線の拡幅事業を担当した職員は病院の患者や職員から切望された当時のことを覚えている。今は目通りの周囲が2メートルを超える幹に保存を訴える札も掛けられた。市民から伐採反対の投書が来たと記憶する市役所OBもいて運動の詳細は不明だが、病院に限らず、あちこちから声が上がったというのが実情だろう。

  かくして市民の声が行政を動かす。拡幅整備は続行されたが、当時市長だった故工藤巌氏の英断で伐採が回避された。盛岡の先駆的な景観行政の実践や環境政策を展開した市長だったのも幸いした。

  交通を安全、円滑にと担当課は知恵を働かせ汗をかいた。木の前後だけ中央線を分離する「島」を設置。川側は正確には歩道ではなく河川管理道で、管轄の国と掛け合い同時期に進めた護岸工事で車道の幅員確保の協力を得た。最少で幅75センチと狭まっている歩道は木を残すための腐心を伝える。
(井上忠晴記者)

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