2007年 1月 1日 (月) 

       

■ 〈特集観光新時代〉老舗名物旅館「扇屋旅館」長期利用へ食事の気配り

     
  扇屋旅館の熊谷昭治さん  
 

扇屋旅館の熊谷昭治さん

 
  扇屋旅館(盛岡駅前通15の17)は、1935年(昭和10年)に開業した老舗旅館。今年で72年目になる。開業当時は現在の木伏緑地帯にあった3階建て木造だった。熊谷昭治さん(54)の母の故キクエさんが、戦前から戦後を通じて途切れさせずに営業してきた。

  昭治さんは「土手があり1階が地下にあるような建物でした。20部屋ほどがあったと思います。6畳や8畳の部屋があり和風旅館でした。昔の畳ですから、かなり大きな部屋だったと思います。増改築もしました。わたしはここから桜城小に通ってました」と言う。

  「夏はかやをつり、冬はこたつ。お客のこたつに炭を入れるのがわたしの仕事。行商の人や傷痍(しょうい)軍人が泊まっていた記憶があります。昭和30年、40年は当館だけでなく市内の駅前旅館の全盛時代でした」と当時を振り返る。

  現在の場所に移ったのは83年。市の都市計画で移転を余儀なくされた。そして木造から7階建てのビルに移転し22室の旅館で再スタートを切った。既にこのころはシティホテルがオープンし旅館が減り始めていた時期。いくつかの旅館はビジネスホテルやマンション、食堂などに業態を変更していた。

  「母は移転しても扇屋の名前で旅館を続ける気持ちでいました。どんな旅館が良いのか、温泉街の旅館などを視察しました。そのとき駅前ならビジネスホテルにした方がとは言われましたが。洋風の部屋も少し造りましたが基本は畳の部屋。もちろん木造時代の部屋とは違い狭いですが。それと1階にレストランを設置しここで食べてもらうことに。1泊2食の旅館のままです」と言う。

  キクエさんが50年間営業したあと、昭治さんが2代目としてバトンを受け取った。「今は当時と時代も大きく変わり、客層も変化しました。食事を出す駅前旅館は激減しました。サラリーマンの多くはビジネスホテルを使い、外で食べる時代です。朝早く起きて、食事の支度をして食べてもらう。夜も早めの仕込み。手間がかかりますし大変ですが」と昭治さんは時代の急激な変化に戸惑いも。

  駅前から旅館が減ったため、今は盛岡駅から一番近い旅館になる。仕事客がほぼ主体。「2食しっかり食べて働く職業の方の利用が多いです。大型の商業施設やマンションなどの建設に携わる工事関係者などです。工事の建設に始まり、外装や内装の関係者。イオンが市内に2つ開業してますが、建設中は当館を利用してもらいました。2、3週間泊まってました。長い人で1カ月」と言う。

  毎日2食。長期利用者が飽きないような食事作りに苦心する。「旅館での食事の位置付けは大きいです。わたしは子供のころから山菜取りに連れていかれたので、取れたての山菜をてんぷらやおひたしなどにして提供しています。食べ物で文句を言われたことはありません。食事がおいしいことが口コミで広がり利用してくれたケースは多いですが」という。

  駅前はビジネスホテル戦争。その中で残ってきた。ランチもありおいしい汁物が周辺のサラリーマンに評判。「幸い、3代目もいます。県外資本だけでなく地場も頑張らないと。家族経営ですが」と、老舗の2代目の昭治さんは話す。(電話651−3964)

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