よい語義というのは、できるだけ短くて、それでいて日本人にピタリと分からせるものでなければなりません。その用例もまたその語義と照合したときに、まさに適正なイメージを過不足なく伝えられるような自己完結しているものであることが望まれます。
念入りになって長くなるのはいけません。各執筆者がそんなことをしたら、辞典がとんでもない厚さになってしまうでしょう。どうしても例示が長くなるときは、伝えたい用法をこわさない限り、一部を別の語に差し替えて、それを複数の母語話者にチェックしてもらうことになります。
この作業を振り返ってみると、何を収録するか、ではなくて、何を収録しないことにするのか、はっきりした自覚が要求されます。編集方針からくる基準と、それぞれの語に与えられる一語当たりの指定行数(専用の原稿用紙)の上限と資料とのバランスをにらみながら語義と用例を決めていきます。この「戦い」が終わると、やっと下書き原稿を書いてみる段階に進みます。ここまでの作業は、資料の観察と確認―その評価―その処理ということになります。
さて、辞典というものは、語の意味(meaning)を分割してこれを語義(senses)とし、一定の方針に従ってそれらに番号をつけて並べていく。このような方法がいつごろから行なわれるようになったのかについては辞書発達史にゆずるとして、意味研究の立場から言えば、意味というものは、そもそも番号などをつけて分割できるものなのかという重大な疑問がでてきます。
そんな難しいことを考えないで、英米の英語の辞典を日本語に訳せばいいじゃないかと思われるかもしれません。ところが、英米人にはなんの不思議もない発想からくる言い回しが日本人には「当たり前でない」ことが多いのです。ですからそうはいきません。
(言語人文学会顧問)
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