■ 〈ドイツ西部の森と街へ〉19 下田一 シュバルツ・ヴァルトへ
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バスが動き出し、いよいよシュヴァルツ・ヴァルト(黒い森)に向かう。シュヴァルツ・ヴァルトは、林学の教科書、とくに造林学、経営管理学にしばしば登場したので、森林の育成管理に従事した私には忘れられない地名である。
明治になって開国した日本は、近代化を目指して西欧諸国に多くを学んだ。憲法などの法学や医学をドイツに模範を求めたことは知られているが、林学も、かつての陸軍も見習ったのである。ただし、クラーク博士で知られる大農方式はアメリカ、鉄道と海軍はイギリスといわれる。
バスは狭くて曲がりくねった坂道を登る。地図で確かめるとグロッター・タール(グロッター谷)である。片側の急斜面はトーヒやモミの針葉樹林、片側は深い渓谷でトーヒにブナなどの広葉樹が混じっている。
ポット教授「シュヴァルツ・ヴァルトは南北170キロ、東西50から70キロの幅で、花崗(こう)岩と砂岩から成り立っている」。
ドイツには◎◎の森、△△山地と呼ばれる丘陵や高地の森林地帯が30カ所ほどあるが、シュヴァルツ・ヴァルトは、もっとも広い。
岩手県の東部を占めている北上高地と比べてみよう。北は久慈地方から南の室根山までと同じ長さ、東西の幅は盛岡と宮古の距離よりも少し短いが、森林地帯としての大きさは推測できるだろう。北上高地とシュヴァルツ・ヴァルトは、ほぼ同じくらいの広さといっていい。
シュヴァルツ・ヴァルトに人間の手が入る前は、ブナとモミの混交林が大部分を占めていたといわれる。18世紀末、産業革命が興ると大径材は造船の材料として伐(き)り出され、ライン川を筏(いかだ)を組んでオランダのロッテルダム港まで送られたし、発達してきた諸産業の燃料として大量に消費されたという。乱伐によってはげ山になった高地は、降雨のたびに災害を発生させたので、大規模な植林が行われたのが19世紀中頃(ごろ)である。
植林した樹種は、大量の種子が採れやすく、幼齢から成長の早いトーヒであった。もともとこの土地に多く育っていたブナやミズナラは成長が遅いし、モミは苗木にする種子が大量に採れなかったから、選ばれなかったという。
日本でも、戦時中の乱伐で山地が荒れ、戦後各地で台風や集中豪雨によって水害が発生したので、全国的に水源林造成に乗り出した。岩手県や北海道などの寒冷地において、自生種でないカラマツが広い面積に植えられた。採用された理由は、幼中齢期に成長が早いカラマツが、戦後の復旧に早く役立つと考えられたからである。災害対策にトーヒとカラマツが採用された理由はよく似ていると思った。
急坂を登ったバスの前面に、なだらかな高原が広がり、濃緑色の森林と草地がまだら模様に展開し、農家が点在する。車中でポット教授から説明のあった、高原台地の景観である。外気温は22度を示しているので、ライン地溝帯の低標高地よりも、気温が6度か7度下がったと分かる。
ポット教授「標高が高いこの地域は、ブトウも畑作物も栽培できないので、草地にして酪農を行っている」「酪農と観光、森林と観光を結びつけた世界有数の観光森林地で、ガストホーフが多い」。ガストホーフは飲食店を兼ねた田舎の旅館である。
南北に走る稜(りょう)線部の東斜面は、ヨーロッパ大河の一つドナウ川の源流域になっている。西斜面の小流はすべてライン川に入る。北上高地東側の諸川がすべて太平洋に入り、西側は北上川と馬淵川に流れ入るのと似ている。
ポット教授「ドイツには、◎◎街道と名付けた道路が数多くあるが、この道は〓時計街道〓と名付けられている。雪の積もる季節の仕事に時計を造ったからである」。つまり、冬期間の家族の内職が、時計産業を発達させたというのである。
緩傾斜の牧草地とトーヒの森が交互し、ジャージー種に似た茶褐色の毛の牛が放牧されている。白と黒の毛のホルシュタイン種も見える。ゆるやかなうねりの高原台地を、見事に利用している鮮やかな緑の草地と黒々とした森とが織りなす景観を、私は車窓からあかず眺めた。シュヴァルツ・ヴァルトの高原景観に満たされた高揚感である。
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