■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉33 北島貞紀 ナンバーワンホステス
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■1978年
クラブ「パルテノン」には、外国人の客もよく来た。そういうときには、客席にその国の国旗と日の丸の卓上旗が立てられる。マネージャーが「きょうはドイツのお客様」というと、僕らは「リリーマルレーン」とか、フランス人ならば「パリの空の下で」とか、その国のゆかりの曲を演奏する。僕は、「世界の民謡集」などを買ってきてリクエストに備えた。
でも、無理なんだよね、すべての国の曲なんて。デンマークとかトルコとか言われたって世界の民謡集にも載っていない。というより、世界中にいくつの国があるのか知らないけれど、僕らが演奏できるのは20カ国にも満たない。
そんなときは近くの国の曲を演奏してごまかすんだけど、きっとそんなのうれしくないだろうね。僕が外国に行って、韓国の曲を演奏されてもうれしくないもの。
僕らが来る半年ほど前、あのカラヤンがきたらしい。世界屈指の名指揮者フルベルト・フォン・カラヤン、その人だ。いったい何の曲を演奏して歓迎したのだろう。それを考えると、寒気がしてくる。
芸能人も時折、顔を見せた。ある日、細川俊之が客に連れられて来た。北新地の近くに毎日ホールがあって、そこで木の実ナナと「ショーガール」というミュージカルをやっていたころで、芝居が跳ねてから来たらしい。ホステスがきゃあきゃあ言っている。
そのうち何か歌ってということになって、(普段は一切歌伴はやらないのだが)細川がステージにやってきた。「それじゃ、追憶をお願いします」
オリジナルキーのイントロで歌いだしたが、どうも歌いにくそうなので間奏で1音上げると今度は気持ちよく乗ってきた。歌い終わると「どうもありがとう」といって軽くウインクをくれた。さすが芸人、サマになっていた。
吉幾三が来たのは、「おれは田舎のプレスリー」が売れたあと、完全に下火になったころだった。見るからにぎやかで、歌いたがりで、リクエストもないのに「ろくでなし」を歌った。一発屋で終わるのかと思ったが、その後演歌で復活して大ヒットしたときには、正直驚いた。
ところで、ナンバーワンホステスがその店のナンバーワンの美人かというとそうではない。むしろ余り目立たなくて控えめなタイプだったりする。
美人だとそれが鼻についたり、ホステス同士のさや当てがあったりするのだろう。聞き役に徹している方が客の安心感や信頼を得やすいのかもしれない。それ以上に、美人でないことのハンディを何かでカバーしようとする努力が大事なように思える。
マネージャーから「彼女がうちのナンバーワンだ」と教えられたときに、「へぇー」と思った。若くも美しくもなく、その他大勢の一人に見えた。
ある日、練習で早めに店に入ると、そのホステスが電話をかけていた。客へのハッピーコールというやつだ。マネージャーが言う。
「彼女ぐらい熱心な子はいないね。他の子3倍だね」
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役、著者ホームページ http://www.smilecats.com/)毎週木曜日掲載。
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