2007年 1月 15日 (月) 

       

■  〈盛岡百景〉96 夜の岩手県民会館

     
  宵闇にほのかに浮かぶ岩手県民会館  
 
宵闇にほのかに浮かぶ岩手県民会館
 
  岩手県民会館の中津川に面した壁に開口窓はさして多くない。施設の稼働状況によって外にもれる明かりの量は変わるが、強く主張している感はない。むしろ抑制しているかのように思えてくる。

  1973年、県民会館は県民待望の文化の殿堂として完成した。県公会堂が県民、盛岡市民の浄財が投入されて東北随一の会堂として内丸にお目見えした27年からおよそ半世紀後のことだった。

  県民会館と県公会堂とは目と鼻の先。時代の差は建物意匠や設備などに表れているが、面持ちは似通っているところもある。県公会堂は外観をスクラッチタイルで飾られた。1個1個はれんがに似た大ぶりな規格で、表面をくぎ状のものでひっかいて傷を作って、模様にしている。そして色は赤と黄が交じった威厳がありながらも柔らかさを備えたものになっている。

  県公会堂を意識したかどうかは定かではないが、県民会館の外観はタイルを採用。その色は県公会堂よりも暖色系が強い印象だが、近似性を感じさせる。それは両者の因縁めいた関係のせいかもしれない。

  県民会館の設計は佐藤武夫設計事務所(現佐藤総合計画)。早稲田大学理工学部卒業後、教授などを務めた故佐藤武夫(1899〜1972)が創設した。武夫は早大入学後に建築家の道に進むことを決心し建築学科で学んだが、学科創設の立役者は佐藤功一で、在学時代から功一の事務所で業務に携わり、卒業後に大学助教授に就いたのも功一の進言だったという。

  その功一の盛岡に残した作品が27年完成の県公会堂。同年に竣工(しゅんこう)の早大大隈記念講堂は功一の監修の下、武夫が実質の設計者となった。武夫は講堂設計を通じて音響設計の重要性を痛感しその道を究めていく。佐藤総合計画が集会、劇場の設計に多くの実績を積み上げてきたのも創設者の歩みのゆえだろう。

  県民会館は旧知事公舎跡地を活用して建てられたという。市内の景観でも重要な位置付けとなる中津川沿いのため、地上5階でも川側の高さを抑えた。外壁のタイルも抑制された発色が採用されている。

  武夫は72年に生涯を閉じ、県民会館の完成を見届けることはなかった。直接手がけたものではないが、功一の作品のそばに建てられたことを喜んでいたのではなかろうか。

(井上忠晴記者)
 

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