■ 〈あのころぼくはバンドマンだった〉32 北島貞紀 3人の相性
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■1978年
北新地のクラブ「パルテノン」での仕事に慣れてきたころ、何か物足りなさを感じてきた。ドラムのアサオは、練習の虫でとにかく正確無比なリズムを刻む。ベースのケン坊も器用にどんな曲も無難にこなす。その正確さ、無難さが気に入らなかった。
「なんか面白くないんや」
ネーカ日(給料日)に、居酒屋で口火を切った。
「音楽やっている気がしないんや。何でノッタらついてこないんや」
かなりむちゃくちゃな言いがかりだった。クラブの中で音のボリュームを出せないことは百も承知、バンドのキャリアでは、僕が一番浅い。楽器のマスター度も僕が劣っていた。
何が気に入らないのか、それは二人があまりにスクエア(常識的)でまじめだったからだ。今まで見てきたバンドマンは、どこかが欠落したり、あるいは突出したり、全くのアホだったりで、おもしろかった。それが音に現れていた。
「多少リズムがずれてもいいやんか。もう少し感情をあらわして一体感が欲しいわ」
ケンカになるかなと思った。
「北ヤン、申し訳ない。どうもジーカン(感じ=フィーリング)が悪くて。気ぃつけるわ」
アサオがまじめにこたえる。なんか拍子抜けだ。
「まぁまぁ一杯いきまひょう」ケン坊が、その場を取り繕うようにそれぞれにビールを注ぐ。まるで会社の宴会部長だ。
実は、ケン坊は、ある事務機屋の営業課長だ。昼は5人の部下をまとめながら自分も第一線でコピー機のセールスをやっている。年は僕らより1つ若いが、所帯を持ち子供もいる。ベース同様、会社の業務も家庭も器用にこなしている。
なんか、そういうことが気に入らないのだ。第一こいつは、パッチを履いている!
キャリアはなかったが、僕はこのバンドのバンマスだった。店との交渉やバンドの方向性を決める役割だ。今までの兵隊とは違って、店とのやり取りには気をつかった。いつ何時ビーク(くび=解雇)を言い渡されるかわからない。ユニオン(組合)もプロダクョンにも所属していないから、後ろ盾は何もない。自分たちを守るのは自分たちしかない。
僕は、毎週1回の練習日を設定した。二人は喜んで参加した。僕は、師匠の「バンドはしょせん刺し身のツマ」の話や、かつて堺東の「花束」でみたすばらしい音を出すバンドの話をして、自分たちのバンドの方向性を示した。
僕にとって、二人のスクエアさはカルチャーショックだったが、彼らにとっては、僕がクレージーに見えたかもしれない。
時間が経つにつれて、それぞれの性格が見えてきた。
僕は、確信犯的な自己中で、アサオは天然(無意識)の自己中、そしてケン坊はその調整役となった。ちなみに僕の血液型はB、アサオはA、そしてケン坊はABだった。
(ミュージシャン・株式会社ショップボックス相談役)著者ホームページ http://www.smilecats.com/
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